他人に委ねる不親切

 今月半ばから、我が国では個人にマスクの着け外しの判断が委ねられるようになるそうだ。
その意味するところ、ようやく世の中はマスクをしてもしなくても大丈夫な状態になりましたなのか、とりあえずマスクをしなくてもひどいことにはならなそうだけど、個人で判断した結果の後始末をつける気はありませんなのかは知らない。

 しかし、事の本質はマスクの着け外しにはない気がする。
今分かっている段階で、コロナウイルスが人々に及ぼす影響はどの程度で、マスクをした場合の防御力、あるいはせずに感染した場合の対処法を示すところから始めるのが筋ではないか。そうしなければ、着け外しの判断など個人にできるはずがない。そこを語らずに、ただ自由だけ差し上げますというのはあまりに無責任ではないのか。

 マスクだけではない。
 あらゆるところで遮るように置かれたアクリル板はどうするのか。
 視覚障碍者にとって生命線ともいうべき同行援護のための手引きは、ソーシャルディスタンスの名のもとに忌避されることは今後ないのか。

 他人に判断を委ねる立場にある者は、判断するための材料を提供する責任がある。
 自己判断した結果の責任まで負ってほしいと要望しているのではない。
 私たちの暮らす社会は、3年前の対策のない感染症が現れた時よりは安心できるものになりましたと、自信をもって宣言してほしいと望んでいるだけなのである。

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