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声の聞き方、聞き分け方  441

今朝、まだ通勤・通学の人が動き出す前のタイミングでどこからかずっと同じ音が聞こえていた。

何か高めの機械音?なんていう感じの音で「うちの送風機かな?」と確認してみるも…違う。
音のする方に進んで玄関まで来たのはいいが、そこに電気ものは無い。
でも音は続いている。

「リーーーーー」というか「ピーーーーー」というか…そう、ずっと続いている。
「ご近所さんの何かの機械のエラー音?」なんて思いながら、耳を澄ますもよくわからない。

網戸越しにお外見学中の猫に「まさか…」とうっすら容疑をかけて近づいてみるも…もちろん違う。
迷惑そうな一瞥を受け「ごめんて」なんて言いながら耳を澄ましていると…

その音はお向かいさんから聞こえてくる。
「あ、虫の声?」
やっとのことで、なるほどガッテンだった。


夜に鳴くはずの秋の虫が朝も鳴いていた、お向かいさんの庭で、しかもロングトーンの大音量で…。
「何アピールだ?っていうか朝も鳴くの?」なんてブツクサ言っていて思い出した。

海外の人は虫の声を「雑音」だと感じる、という話。
大体「日本人とポリネシア人には情緒を感じる音として聞こえる」みたいなことが続くと記憶している。
つまり、通常言語を担当する左脳、感覚を担当する右脳だけれど、日本人とポリネシアの人々は言語担当の左脳をその音に「情緒」を見出すような使い方をしているということらしく、逆にその他の国の方々には「ただの雑音」にしか聞こえないらしい。

「機械音だと思ったなんて、海外の人の感度のことなんて言えないじゃん」
なんて苦笑いが浮かぶ。


「秋の虫は夜」だと勝手にセットにしていたし、そうじゃない時にはここまで鈍くなるのか…となんだか複雑だった。


複雑な心境繋がりで言えば。

この夏は水を意識して多めに飲むようにしたところ調子がいいのだけど、その場合、やっぱり飲み方は「一度にたくさん」はNGで、いわゆる「ちょこちょこ飲み」が推奨される。

それまで「喉が渇いたらお茶かお水」という当たり前の方針だったのだけど、この場合「喉が渇く前に飲む」に変更され、自分の「飲みたいか、飲みたくないか」は早々に棚上げされていた。


そんなことをしていたら…何かちょっと違和感がきた。
ズレてる…ってことでもなさそうだけど、何かがピッタリしていないようでしっくりこない、というか快適ではない。

大きなものではなさそうだけど…でも、この「自分自身はいつもと変わらないシチュエーション」だと思っているところを見ると、いつも頻繁にある状況だけどわたしが拾えてないってヤツなのでは?なんて疑わしくなってくる。

自分から出ている「ピッタリ」の何を取り違えているんだ?

そう思いながらお水をチビチビ飲んでいたら…おいしかった。
「あ、お水おいしいー」なんて思った瞬間、「あ…お水飲んでってことだったの?」と気づく。


そう、わたしは自分の「欲」=頭が何か飲みたいはキャッチ出来ても、「からだ」が伝えてくる「渇いてるよ!飲んで!」はキャッチできていなかったということになる。

「…え、大事な方ずっとスルーしてたってことじゃん」って凹み案件ではあるのだけど、これって、自分の「飲みたい飲みたくない」に関わらずチビチビ飲むという飲み方をしていたからわかったことなんじゃないの?なんて思う。

「心の声」だと思っていた「欲の声」より「からだの声」を聞く方がわたしにとっては繊細な作業だったということらしい。


いずれにしても、今までと違う感覚を意識しながらちゃんと声を拾えるように「耳の澄まし方」「声の聞き方」練習あるのみ!だな…と思い至ったのだった。





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