潰れたマルから生まれたこと  254

一日あけて再び始まったモーニングページ。

起きてしまえばサッと始められたし、朝の静かな時間だし、体調もとり立てて
不調は感じてない。
なのに、数行で止まってしまった。

「何、一日飛ぶとこんなにくる?」なんて思いながら文字を待つ。


とりあえず、頭の中に浮かぶ言葉をそのまま書き出す!と待ち構えるも、
昨日まであんなに歌や疑問やで溢れかえっていた脳内に言葉の気配がない。
…寝ぼけてんのかな、なんて少し待ってみるもペンは動かず。

このまま時間が過ぎるのを待つのもなんだし、そのまま
「寝ぼけてんのかな。筆が進まん…」
みたいな現在起きてる、思ってることをポツポツと書き続けていた。


すると、あることに気がついた。

「あ、字が潰れてるわ」

現在使用中のノートは横罫線のノートなのだけど、しっかりめに書いてると
(書けていると思っていると)わりと罫線の上下いっぱいの高さのある文字を
書いていることが多かった。

ところが今朝の字は、行の下半分くらいに収まり「ま」とか「な」とか「は」の
マルがほぼ潰れていたのだ。

ブチャっと潰れているというよりも、ズルズルと続いている…。
なんというか「ダレている」というよりも「ドロッと低空飛行」みたいな感じが
して思い出した。
いつだったか「悩みの多い人は文字のマルが潰れている人が多い」みたいな話を
聞いたなぁ…なんて。
「なんだよ、感じ悪いじゃないの…」なんてブツクサ思っていた。


そこで重ねて思い出したのが、3年ほど前にホニャララLIVEに出演されていた
林 香都恵さんがしていた、文字の書き方を変えるだけで運気が変わる!
みたいなお話。

「こんな風になりたい!と思うなら横幅のある文字を書く」とか
「組織で力を持ちたいと思うならここのはらいを大きく」みたいな。

そうだった、文字にも出るんだよね、コンディション…って当たり前か…。
だったら「こう在りたい!」って感じの字をわざと書けばそうなるってこと
じゃんね!と安直に思いついたところから、行の途中だって関係ない!と
高さぐんぐんの字を書き始めてみたのだ。

行書がちゃんと書けるわけでもないのに、ズルズルとつながり潰れていた字が
行を目一杯使っているにも関わらず、逆に空間を持ち始めた。

「うんうん、読みやすい。」
別に誰かに見せるわけでもなければ、すぐ読み返すわけじゃないし、グズっグズ
でも全く問題ないのだけれど、いわゆる「背筋が伸びた」感が生まれてくる。


「なるほどなー、句読点で区切った気になってたけど、区切れてなかったかも…」なんてまた別のことがポコっと浮かぶ。

動作と動作の区切りが体の面=物理面では出来ているように見えていても、
精神面で出来てなかったことが多かった=ズルズルと持ち越している情報が
多かったかも=その辺が片付いてなくてざわついているゾーンが多かったって
ことかも…なんてことまで出てきた。

後から考えると「惰性で引きずってた」みたいなことが多い方なので、文字の
ことからも意識の片づけゾーンが垣間見えたのはとてもよかったし、逆ベクトルで
文字から意識の整理整頓もやっていける!もっといえば、自分を行きたい所に
向かわせることができるかも!という壮大なことまで思いつき、ひとりニヤついた
朝だった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?