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かゆみから浮かんできたこと  361

ここ数日、久しぶりにかゆみが出てきた。
ほっぺとアゴ、そして首の前側…そう、おそらく日焼け関連が理由で。

「関連」なんて言葉になったのは、それが日光が原因なのか、数年ぶりに使った日焼け止めが原因なのか、はたまた昨年来使用を再開した化粧品の数々が原因なのかわからないからなのだけど。


覚えのあるかゆみの出方だな…なんて思ったのをきっかけに、ずいぶん昔のことで忘れていた、自分が日光過敏症だったことを思い出した。

高校卒業後、関西へ引越してからその診断名がついたのだけど。
その時だって、日光なのか日焼け止めなのか何が理由なのかはっきりはしていなかった。

周りは「水が変わったからだ」なんて言っていたけれど、本人としては「もう何が原因だっていいよ…かゆい、かゆすぎる…」なんてモーローとしていた。
病院で出された薬だって重ね塗りの最後が真っ白の塗り薬で、真面目に顔に塗ったならバカ殿が爆誕して、なかなかシュールだった。
もちろん外出時には使えない…。


そんないわゆるアレルギー体質だった体も、結婚後の養生の数々でずいぶん不調が少なくなり、その養生(時にはデトックス)きっかけで日焼け止めなんかは10年以上使っていなかったし、その間、夏には多少の日焼けはあるものの肌の不調はほぼないいうえ、秋から冬にかけての日焼けの回復も思った以上に早かったのでコンディションに不満はなかった。

コンディションに不満はなかったのだけど「何もしていない」という自分の中にある罪悪感にスポットが当たり、昨年あたりからいわゆるノーファンデだった化粧を、再び基本に戻してみた。

戻してみたら…この状態なのだ。


わたしが化粧や日焼け止めをやめた頃に比べたら、そのあたりの品質は格段に上がっているだろうし、大丈夫だろうと軽く考えていたのだけど…
昔、肌にピリッときたファンデーションは、結局今でもピリッとして、わたしもファンデーションも「お変わりありませんで…」な再会だったりしている。

お化粧は「たしなみ」なんて言われたり「礼儀」なんて言われたりする側面もあるし、なるほど服の傾向も変わりつつあるから一緒に化粧も…みたいなちょっとした感覚だった。


不調が出始めたんだから、さっさと心当たりのものを使用停止にして様子を見るだけなのだけど…なんだか、小さな罪悪感とか色々浮かんでは消えていく。

「なんで余計なもの入れないことにしたのにまた入れるようなことするの?」
「キレイになるって本当にこんな負荷が必要なの?」
「別の商品探すの?別のやり方探すの?どうするの?」

自分へのストレートな疑問は、まぁまぁ刺さってくる。



そんな中、友人に会った時にも同じようなことがあった。

久しぶりの対面だったから、友人は
「トモちゃん、今何してるの?パンは?まだ焼いてるの?」
と軽く近況確認の質問をしてくれた。

わたしは「何もしてないんです…」なんて言いながら、バツが悪いというか「なんも面白くなくてすみません」みたいな妙な感じで小さくなりながら答えたけれど、その自分に相当居心地が悪かった。

友人は「何もしない時間、いいよ!そういう時って必要だよ」なんて言ってくれたのに、なんとも微妙な心持ちだった。


そう、人がどう思うかの前にわたしは「何もしていない」自分に罪悪感があるのだ。

ちゃんと化粧しない自分
働いていない(稼いでいない)自分
人に言える職業を持っていない自分
役に立っていない自分

そんな自分でいてはいけないんじゃないか?
役立たずでおもんないなーなんて思われるんじゃないか?
そう思われないため用に病名や職業みたいな「題名」が必要だと思ってるんじゃないか?
そのすべてのジャッジに一番厳しく関わっているのは自分じゃないのか?

と、まだそんなものを握りしめているということを顔のかゆみは表出させてくれたのだった。


かゆみも吹っ飛ぶじゃないの、ホントに…
なんて思いながらほっぺをポリポリしている。





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