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日本はいつから日本になったのか?世界史とつなげて学べ超日本史 ⑳Audible

 今年はマンガ「キングダム」から始まって中国の古代史に興味を持った年でした。キングダムの戦国七雄時代の日本は?そんな疑問から手にとった本でした。日本はキングダムの時代は弥生時代です。そして弥生時代とキングダムの時代が強く関係していることを知ります。では、日本はいつから日本なんだろう?そんな日本史の中で感じたいろいろな疑問が、解けるようにわかる一冊です。


①春秋戦国時代にやってきた弥生人

先住の縄文人の後にやってきた弥生人。身体的特徴も遺伝子のタイプも生活のスタイルも縄文人と弥生人は違います。弥生人は長江流域の人たちと同じタイプの遺伝子を持ち、稲作や青銅器も作ります。

この弥生人、なぜ中国から日本に来たんでしょう?

弥生人の時代は、中国は春秋戦国時代。戦争でいつ死んでも、国がなくなって奴隷になっても財産を略奪されてもおかしくない時代。逃げて、新天地を求めて、多くの人が海を渡って日本に来てもおかしくないですよね。もちろん、

そして彼らの大陸の進んだ稲作や青銅技術を日本で広め、優位に定着したと考えるとよくわかります。それ以前もそれ以降も大陸との人の行き来はあります。私たちの祖先の多くは中国(大陸人)ということです。

②日本はいつ「倭国」から「日本」になったのか?

1.倭の時代  

魏が卑弥呼(弥生時代)に「親魏倭王」の金印を授けたという記述が、魏志倭人伝という魏の本にあります。この魏は、あの三国志時代の魏・蜀・呉の魏。金印を授かるってことは主従関係を受入れた証です。

2.対等宣言 

飛鳥時代、推古天皇(聖徳太子が摂政)は、第一回の遣隋使、小野妹子を通して隋の皇帝に国書を送ります。その冒頭に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。」と書いて皇帝煬帝を激怒させます。天子と天子、日本の姿勢は、対等宣言だったからです。

そして、第三回目の遣隋使の際に「東の天皇、敬みて西の皇帝に白す」(日本書紀)に改められ、ここに初めて天皇という名称が出てきます。日本の天皇は飛鳥時代からだったんですね。

3.日本です 

さらに奈良時代に入り、中国は隋から唐の時代。阿部仲麻呂などの遣唐使や僧侶の交流も始まります。736年の史記正義には「則天武后が倭を改めて日本とすることを認めた、という記述があります。あの中国の女帝、唐の則天武后によって、対外的に日本として認められたんですね。

飛鳥時代の推古天皇、聖徳太子は、独立国として対等関係を宣言し、天皇という名称を作りました。そして、日本は奈良時代から他国に侵略されることなく、21世紀の現在までいるのです。

すごくないですか?

③唐で35年つかえた阿倍仲麻呂

遣唐使だった阿倍仲麻呂は科挙にも合格し、35年間、皇帝に使え、あの李白とも親交があり、李白は仲麻呂の帰国を寂しがった詩を詠んでいます。

百人一首の「天の原、ふりさけみれば春日なる、三笠の山に出でし月かも」は仲麻呂のオリジナルではないそうですが、故郷日本を偲ぶこのような歌を読んでいます。遣唐使の航海は危険を伴うものだったため、仲麻呂も航海が上手く行かず、日本に帰れないまま、唐で亡くなってしまいます。

奈良時代からこうした中国と日本との交流、友情・信頼関係があったと知ると嬉しくなります。

③世界史も日本史もオモシロクする超日本史

本書では以上のように学校や受験勉強では教えてくれない、話がいろいろ出てきます。時代で言うと古代から江戸時代までザックリ書かれています。

世界の歴史と日本の歴史を重ね合わせてみることで、より日本の歴史が立体的に見えてきます。世界の歴史のスターたちがより身近に感じられます。

日本は島国ですが、古代から人やモノの交流があり、国外で起こったことも外交問題や通商関係も日本に大きな影響を与えています。権力者たちは世界を無視してきたわけではありません。

学生の時に日本史の中で感じた「なぜ?」も世界との関係から見ると理解できまます。詳しくは本書を読んでくださいね。

さて、私たちは将来も日本を没落、滅亡させずに守れるんでしょうか? 権力者たちの日本の舵取りはどうなんでしょう。

先人の苦悩と先見の明が読み取れるコチラの本、今の日本を考えるにもおススメです。

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