慈悲の瞑想  ⑧Kindle unlimited

最近読んできた自己啓発系とはちょっと違う系統の本。テーラワーダ仏教の長老で1945年、スリランカ生まれのスマナサーラ,アルボムッレの本です。

他人を想って瞑想する・祈る幸せ

この本に私が興味を持ったのは、メンタリストのDaigoの対談で彼が「人々の幸福を祈る瞑想がいい」と言っていたからです。それを読んだときびっくりしました。私自身、教会や神社、お寺に行くと特に意識していたわけではありませんが「みんな幸せになりますように」と祈るのですが、その祈りが気持ちがいいことを経験的に感じていたからです。

そして、「それがなぜそれがいいのか」知れるかもしれない、とこの本を読んでみることにしました。

正直、なぜそれがいいのか、この本を読んでも答えはよくわかりませんでした。ただ、人の為に祈ること、瞑想することは、「慈悲の瞑想」の一種であることを知りました。きっと自分が他人を慈しむ気持ちを持つことで、清々しい人間であると思える自己肯定感・幸福感があるのでしょう。

お金の使い方でもお金も単に自分の為に使うお金の使い方よりも他人のために使って喜ばれる方が幸福度が高い、なんて話もDagoも言ってましたね。人間って実は人の為に何かできると自己肯定できて幸せと感じる生き物なんでしょうかねぇ? 

まず自分が安定してお金、時間、労力に余裕がないと他人に何かはできないと思いますが、それらがなくても祈る・瞑想するだけなら、どんな人でも条件なしでできますから、きっと安上がりに幸福になれる方法なのかもしれませんね。

慈悲の瞑想の忘備録

さて、本書の中身に戻りたいと思います。

やはり仏教思想はわかるようではっきりわからないところがあります。以下、記憶に残った内容です。

・人の心は放っておけば、慈悲よりも憎しみ、嫉妬、恨みに動かされる。それらが人の幸福を妨げる。なので心のしつけが必要。

・生命はすべてつながっていてすべて兄弟。自分もその中の一つ。すべてに慈悲の心を持つことが大切。食べるための殺生も否定。?

自我は幻覚・錯覚。自我は流れる情報につけた便利なラベルのようなもの。「私」は実在はしないから、私に問題は起こらない。???

こころを見る。肉体を見ないで肉体を通して心を見るように努める。見た目で判断しない、ってことですよね。

・誰しも業によって生きている。私たちを生かしているのはエネルギーとは業。業っていうのは物事への態度・何をしてきたか、ってこと。慈悲の瞑想や他の瞑想をすると知性の業が現れる。タバコを吸うのは典型的な肉体への悪業かな。

ここでは具体的な例は紹介しませんが、本の中では身近な話も混ぜて、わかりやすく説明されています。とは言え、やはり、殺生、自我、業、我慢・忍耐・堪忍、ということになってくると、この本をさらりと読んだだけでは、単純に「そうですね」、と理解も納得できません。

普段の瞑想や祈りに取り入れてみる

すべて理解・納得はできなくても普段の祈りや瞑想もどきの中に本書からのフレーズで入れてみたいものはいくつかあります。

すべての生命は幸福でありますように。私の心は空気のように。とかね。

哲学や宗教・スピリチュアルな興味だけでなく、マインドフルネス、パフォーマンス向上、自己管理、脳科学、心理学、余暇など幅広い目的や興味で瞑想を生活に取り入れている人が増えていると思います。

この本を読んで自分の瞑想の見直し、試しに取り入れてみるのもいいんじゃないかと思います。





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