13歳からのアート思考 ④
kindle 本、第2弾「13歳からのアート思考」の覚えがき。
まず面白かったです。私はキンドル本第1弾として岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んだんですが、「13歳からのアート思考」を読んで両本の意味が理解しやすくなりました。
前回のNote :「キンドルで読んでみた」にも書いたように岡本太郎が言いたいことはちょっと抽象的です。この13歳からのアート思考はもう少しわかりやすく具体的に書かれているので、改めて岡本太郎が何を言わんとすることがわかります。
以下感銘した点です。
① みんな人生のアーティスト
アーティストというと芸術に秀でた特殊な才能、技能を持った人と思ってましたが、アーティストとは探求を楽しむ人とこの著者は言っています。ですから、誰しもアーティストになりうるのです。
アーティストにとって、興味(種)から出発した探求をどれだけ深く広く伸ばせるか(根)が大切で、単に作品 (花)のキレイさ・正確さ・技術の高さを競うことではないと言っています。作品(花)の技術の高さを自分なりの探求なく目標とする人を「花職人」といい、アーティストではない、と呼び分けています。
探求することによって自分なりの考え、基準を持つことの大切さは岡本太郎も強調しています。
② アートの歴史はアーティストたちの探求の軌跡
マティス、ピカソ、カンディンスキー、デュシャン、ボロック、アンディ・ウォーホルで代表されるアーティストたちが、アートの枠をどう崩し、前に進んできたのかを知ることはとても興味深いです。
単にそれぞれアーティストの作品の特徴と思っていましたが、実はそれぞれの時代のアートの既成概念を崩してアート作品を作っていました。
例えばピカソは遠近法で描かれた絵の当時の絵のリアリティーについて疑問を持ち、常識はずれの多方向から描かれたものを絵に落とし込んだとか。
実は一見突拍子もない作品も作者なりの何らかの探求の結果です。このアーティスト達の時代背景と作品の意図を知っていると、作品に出会ったときに見る視点も広がるでしょう。
③やっぱり茶道・利休はすごい!
茶道では「五感を使って楽しむ」と言われます。これは茶道の楽しみ方として400年以上も以前から実践されていることです。
ところが西洋アートでは視覚依存型から五感で感じるものもアートとして認めるなったのは100年も経っていません。
黒楽茶碗をはじめとする華美に装飾されたものではない茶碗、竹で作られた生活用品のような茶道具、自然を切り取ったような茶花、そぎ落とした美の茶室、想像や記憶を呼び起こすしつらえなど、茶道の世界では400年以上も前から当たり前に行われていることが、西洋アート界で徐々に受け入れられるようになったアートの形です。
利休と秀吉の朝顔のエピソードもオモシロいですよね。「利休の見事な庭の朝顔を見たい」と秀吉が言って、利休の家にお茶を飲みにいったら、庭の朝顔はすべて切られていて茶室に一輪の朝顔があった、という有名な話です。
著者は利休はこの一輪の朝顔によって、秀吉に庭の美しい朝顔の庭を想像させる意図があったのでは?、と言っています。私もこの解釈にどれよりも納得します。これもまた利休らしいアートの形で、アーティスト達が切り開いた想像させるアートの領域でもあります。
茶道も利休もすごくないですか?
アート思考は人生を豊かに楽しくする
アート思考とは好奇心に大切にして探求していくこと。そしてアート思考は自分なりの見方を育てる一助となります。他人基準じゃない人生はより豊かで楽しいものになるでしょう。
そんなアート思考的アート鑑賞の具体的なやり方も紹介されています。それがこの2つの問いです。
A. どこからそう思う? 主観的に感じた「意見」の根拠となる「事実」を問う
B. そこからどう思う? 作品内の「事実」から主観的に感じた「意見」を問う?
この問いに答えて自分が感じたこと思ったことを口に出して言ったり、書き留めたりして、事実と照らし合わせて明確にする、もしくは事実から根拠を問う、と言う方法です。この両面を実践したら、なんとなく見ていたアート作品がよりクリアに見えてきそうですね。日頃のアート鑑賞も変わりそうです。
あれっ、これってアート鑑賞だけじゃなくていろいろ活かせそうじゃないですか?
あ~あ、だからこそ、今アート思考が世間で注目されているんですね。
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