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『霧が晴れた先の世界』 ~始まりの扉は終わりの扉



ようやく山頂まで登り 頂にかかる霧を抜け 下り坂を転がりはじめる

霧に包まれ見えなかった視界が もうすぐスッキリと見通せるようになる

ここ数か月ほど 霧がかった山を登りながら 漠然とした未来像が

ゆっくりと 少しずつ 形を成していた

まだか? まだか? と・・・・

一向に茫洋としたまま誘う肖像を 同じ速度でゆっくりと少しずつ

追いかけるでもなく 風に押されて進んでいる


始まりという扉は 終わりという扉も兼ねている

ゆっくりと少しずつ開く始まりの扉は

ゆっくりと少しずつ閉じ行く終わりの扉

開きゆく扉と 閉じ行く扉の狭間は 茫洋とした霧の中


どこへ向かうかなど決まっている この次元は「時間」の制約の次元

だから進む先は未来しかない ただ「景色」がどうであるかというだけ

移ろいゆく景色の美しさを 探しに行けばいい

世界は 過去も未来も美しい

その美しさを 風と共に 探しに行こうと思う


6月6日のふたご座新月 そろそろ霧が晴れてくるだろう


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漠然とした思いの中で 少しずつ集めていた機材
初めてカメラを持ったのは 小学6年の時
つたない技術ながら一眼レフでいろんな景色を撮っていた
探偵を始めてからは 一眼レフで人を追っていた

写真は引き算
情報量が少なければ少ないほど 情報の質が溢れてくる
それは全てに通ずる理(ことわり)でもある
溢れる情報に溺れる人は 情報の焦点を合わせられず 情報の本質を見逃している
情報を得るという事に対して 数を得るのか 質を得るのか
「得る」から足し算をする人がほとんどで 引き算が出来る人は少ない

カメラの構図を液晶で見るのとファインダーを通して見るのとでは違う
ファインダーを覗く時 自然と引き算されるからだ
ファインダーから見える世界に呼応して 聴覚も嗅覚も引き算される
さらに世界をモノクロにすることで 表面が透けて内面が溢れ出す
一歩 二歩とさらに近づけば さらに奥へと入り込む
そうやって 世界の美しさを切り取れたら・・・と思う


コロナワクチン禍が始まって 車にはもう乗らないと決めて買ったロードバイク
10万円の給付金がコレ(自転車)に変わり シェディングを避ける生活が始まった
始めてロードバイクに乗ったのは 小学6年の時
もっと遠くへ行きたいと 釣り道具やテントを積んで走っていた

遠くへ行くということは 長い道中があるわけで それを通り抜けてこそ 遠くへ来たと実感できる
仕事で車に乗って全国を駆け回ったが 遠くへ行ったという実感は湧かない
だが自転車での旅は 道中の出来事も思い出となり残っている

車での移動はまるで「点」で移動しているようで
だからどんなに遠くへ行っても 思い出は目的地という「点」でしかない
自転車で向かう旅路は 道中で起こる出来事が 目的地までの線を引いて 濃密なものとなる
しんどさが楽しくあり 転んだ痛みが可笑しくあり
あったかい自動販売機のコーヒーが どんな薬よりもありがたく思える

便利さの反対側にあるものを 「不便」という対比の言葉だけで
その本質を見落として だから人は無性に「豊かさ」を追いかけたくなる
それは 豊かさが足りていないからであり
便利さの先にそれを追いかけるという 真逆の方へ進んでいるからで
人生は車のように点で移動は出来ないのに 便利さに囚われた思考はそこに豊かさを求める
だから車のような「箱」から出れない 箱庭から出られないまま「箱から箱へ」の移動を繰り返す


箱庭世界をよそに 世界の豊かさ 美しさを味わう

世界は広い だが一人の世界は狭い

狭い世界の中に 人生を謳歌できる豊かさが詰まっている

箱庭にはない無限の混沌は 様々な奇跡や偶然を見せてくれる

そんな豊かさを 美しさを 切り取りに行きたいと思う





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