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【黄泉帰り】 ~生きる意味とは?

2018年の10月ころだったか・・・
働いているホテルのサロンに、とある男性のお客さんが来た。
ホテルに併設されている「日帰り温泉」に入った後、マッサージに訪れたお客さんであった。

普通にマッサージの施術をして最後に頭の方を施術するときに、いつも軽くヒーリングを行っている。
ただ意識を向けるだけでそれは起こるのだが、そのヒーリングに気付く人はいない。
ただ単に『心地いい』と思うだけである。

だが、そのお客さんは気付いた。
頭を触りながら「癒し」のエネルギーを送っていると
『何かしてますか?』
と聞いてきた。

施術ついでのわずかなヒーリングエネルギーに敏感に反応して気付いたのだ。
気付く人がいるとは思っていなかったし、たまたまマッサージに立ち寄っただけのお客さんのようだったので正直驚いた。

「少しヒーリングしていましたが気付きましたか。」
そういうと、そのお客さんは突然自分の「身の上話」を始めた。


実はその方『臨死体験』を経験していたのだが、それがちょっと変わった体験であった。

幼少のころに「心停止」をして一度「死んだ」という。
両親も息子が死んでしまって悲しんでいた。
だが、数十分後に息を吹き返した。
蘇生したのである。

両親は当然喜んだ。
だが・・・・

両親は蘇った自分の子供としばらく暮らすうちに「違和感」を覚えはじめ、やがてそれは一つの結論へと至った。
『私たちの子供じゃない・・・』

蘇ったその子は確かに自分たちの子供である。
しかし、死ぬ前と蘇った後の子供の性格が「全く別人」なのだと・・・
行動や言動が依然と全く変わってしまったという。
そして、その子に対して

『おまえは誰だ?私たちの子供じゃない。』
そう言ったらしい。

以来、両親や祖父母たちは彼に対してまるで憎しみを向けるような接し方へと変わっていったという。


「両親や祖父母からよくいじめられた」
と彼は言った。
そして彼自身
「死ぬ以前の記憶が自分には全く無い。だから両親が言うように自分は彼らの息子とは【別の者】なんだと思う。」
という。

実際、そんなことが起こり得るのかはわからない。
だが事実は事実として受け止めなければならない。
何が真実なのかはわからないが、一度死んで蘇ったら言動や行動が別人のように変わっていた・・・という事実は事実として在る。

だから彼は長年苦しみ、いつも『自分が何者なのか?』という答えを求めている。
答えを求めてスピリチュアルの講演会に行ったり、何人もの霊能者などにも答えを求めて訪ねて来たが、未だに答えは得られていない。


正直、『何者か?』と聞かれても私には答えようがない。
今、目の前にいるその人が全てであり
「あなたはあなただ。」としか答えようがない。

過去と今が『同じ』でなければならないのだろうか?
一度死んで生まれ変わったものとして愛せないのだろうか?

考えても経験のないことにはどうにも答えようがない。

ただ、事実があるだけ。
一度死んで生まれ変わった。
そして今も生きている。
その事実は変わらない。

『一度死んで生まれ変わった意味は?』

それは他人が答えられるものではないし、誰かが答えを決めることでもない。
生きている今の意(こころ)を味わうだけである。
その味わいこそが『生きている意味』であろう。

たとえ以前とは別人であったとしても
蘇って生まれ変わったという【奇跡】が事実として在る。
その【奇跡】こそに感謝出来れば、おそらく彼自身も彼の両親もきっと違った人生の【味わい】となっていただろうと思う。
だが、彼の両親は亡くなる前の【息子】をどうしても手放せなかったのだろう。
一度死んで手を離れていったのだが・・・・
『戻ってきた』という喜びが、一層【執着】を強くしたのかもしれない。

だから
出来れば「過去」に囚われず、今を味わってほしいと願う。
そして【味わい深い】人生を送ってほしいと願う。





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