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『奏(かなで)』 ~自分を奏でるということ


夢の中で・・・
とある〇〇〇〇人の少年を諭していた
彼は怒っていた
哀しんでいた
そんな彼を諭していた・・・

目が覚めて「なんだ?」と思ったが

すぐに「あぁそうか」と合点した


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〇〇よ
怒っているのか?
差別されていることに怒っているのか?
それならばお前自身がが〇〇〇〇人であることに怒れ
別の土地に在り、その土地の者に対して怒りをぶつけるな


〇〇よ
お前には音楽の才能がある。
哀しければ哀しいまま哀しみを奏でよ
怒っているなら怒りのまま怒りを叫べ
恐れているなら恐ろしさを打ち鳴らせ

哀しいのに喜びを奏でてはならぬぞ
その音楽は喜びともならず哀しみともならぬ
喜んでいるのに哀しみを叫ぶでないぞ
歪んだ陰湿な悦楽の歌となる
恐れているのに喜びを打ち鳴らしても
嬉しくもないリズムが刻まれるだけである


よいか
絵も同じ
哀しいなら哀しみを描き
嬉しいなら喜びを描かねば
恐れが好きで 喜んでいるのかと
哀しみを見て 楽しむのかと

その心が
「歪んで」いることを受け入れられず
やがて人の和からはじかれてゆき
同じ「歪み」を抱えた和の中に流れ着き
歪んだ「団居(まどい)」の一人となろう


だから
言葉は音楽であり絵でもある
哀しいなら哀しみを語り
恐ろしいなら恐ろしさを話し
嬉しいなら嬉しさを伝えよ

嬉しいのに哀しさを伝えても
哀しみを喜んでいる響きが奏でられる
恐ろしいのに怒りを伝えれば
八つ当たりの言葉となるだけである

心の響きを曲げて奏でれば
音楽はひび割れる
絵は曇り汚れる
言葉は根を失い腐り枯れ行く


だから
おまえ自身が〇〇〇〇人であることを怒れ
〇〇〇〇の大地に居ない自分を怒れ
お前が今の土地でハジかれるのは
大地の響きと人の奏でが歪んでいるからだ
〇〇よ
お前は〇〇〇〇人であり続ける限り
この土地ではハジかれ続ける
それは大地の響きを穢していることである


〇〇よ
〇〇〇〇人で在りたいのなら〇〇〇〇へ行け
この土地に居たいならこの土地の人と成れ
それが誠であり
それが芸術であり
響きを真っすぐ奏でるということだ


〇〇よ
だから今のお前は「歪み」である
だから真っすぐな「誠」を奏でよ
この土地でお前をハジく人への怒りは
大地に対して怒りをぶつけているのだ
そうすれば今度は大地がお前に怒りを返してくる
だから余計にハジかれるのだ


〇〇よ
お前には音楽の才能がある
だから真っすぐに響きを奏でろ
そのために
まずは自分の響きを真っすぐにせよ
自分の響きと奏でが歪んでいれば
お前の音楽は歪む
せっかくの才能が歪めば
その才能は高く伸びないのだ


〇〇よ
お前は怒っている
だがお前の心は違う
哀しいのだ
ならば怒らず哀しめ
そして哀しみの根を抱け
お前の哀しみの根は
この土地に居る〇〇〇〇人という歪み
この土地の者でもなく
故郷の土地の者でもない
つまり根が張れない哀しみ
根が無いから立てない哀しみ
立てないからモタれても支えられない哀しみ
そして
お前の怒りは支えてくれない人への八つ当たり


〇〇よ
お前には音楽の才能がある
お前が奏でる音楽もそのようにしたいのか?
八つ当たりの音楽を奏でたいのか?
根の無い音楽をいくら奏でたところで
育つことなく枯れて
風に流され波に呑まれるだけである


〇〇よ
だから自分の響きを真っすぐ奏でよ
お前には才能がある
その芽を腐らせるな
枯らすな
しっかり根を張って伸ばせ
自分の響きにしっかり根を張り
その響きを真っすぐ奏でろ


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ひふみ神示 黄金の巻第 七十七帖
不二の仕組とは動かん真理、🌀(ウズウミ)のナルト(成答)の仕組とは弥栄の限りなき愛のことであるぞ。神の理(ミチ)に入り、理(ミチ)をふんで居れば、やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなるぞ。世の元から出来てゐるミタマの建直しであるから、一人の改心でも中々であると申してゐるのに、ぐづぐづしてゐると間に合はん。気の毒出来るぞ。めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。めぐりは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。美の門から神を知るのが、誰にでも判る一番の道であるぞ。芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。この道理判るであらうが。審判の廷(サバキのニワ)に出たならば、世界は一人の王となるぞ。御出まし近うなったぞ。自分よくして呉れと申してゐるが、それは神を小使に思うてゐるからぞ。大きくなれよ。


第八十三帖
ひかる誠の行をさしたら、皆 逃げて了ふから、ここまで甘くして引張って来たなれど、もう甘く出来んから、これからはキチリキチリと神の規則通りに行ふから、御手柄結構に、褌しめて下されよ。この世は神の国の移しであるのに、幽界から移りて来たものの自由にせられて、今の体裁、この世は幽界同様になってゐるぞ。地は九二(クニ)のやり方せねば治まらん。早う気付いた人民から、救ひの舟を出して下されよ。これと信じたらまかせ切れよ。損もよいぞ。病気もよいぞ。怪我もよいぞ。それによって めぐり取っていただくのぞ。めぐりなくなれば日本晴れぞ。今がその借銭済しぞ。世界のめぐり大きいぞ。真理は霊、芸術は体であるぞ。正し芸術から神の理(ミチ)に入るのもよいぞ。説くのもよいぞ。芸術の行き詰りは真理がないからぞ。芸術は調和。七つの花が八つに咲くぞ。


五十黙示録 星座之巻 第二十一帖
言葉は生れ出るものぢゃ。先づ言葉され、歌となり、文章となり、又絵画となり、彫刻となり、建築となり、又音楽となり、舞踊となり、あらゆる芸術の元となるのであるぞ。神に通ずればこそ、愛であり、真であり、善であり、美であり、喜びであるぞ、喜びなきものは芸術でないぞ。今の芸術は死の芸術、魔の芸術


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アマテル神が瀬織津姫を娶ったのがこの世界の在り方
だから愛は、誠は、善は、美は、喜びが真ん中に在る

岩戸閉め以前の一霊四魂の理



現在の「伊豆能売」の一霊四魂








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