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【革命と言う名の侵略】『上から見るか 下から見るか』~天翔ける龍と地を這う大蛇

今年に入ってから『引っ越し』のための流れが押し寄せて来ており、その準備をちょこちょこと進めている。
こういうと「どこに引っ越すのか?」と聞いてくる人が多いが、引っ越しは何も「住居」に限ったことではない。
こういうと「仕事場が変わるのか?」と聞いてくる人が多いが、それもまた違う。


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『革命』というものは「自由」「平等」を勝ち取る戦いである・・・と教えられてきた。
歴史書は常にそういう「見方」を提示し、その「見方」を礎にして歴史というものの知識を得てきたわけである。
だから『革命』と聞くと皆一様にそのように思う。
ロシア革命だとかフランス革命だとか明治維新だとか・・・

『圧政に苦しむ人民が立ち上がり、自由と平等を戦って手に入れた』

そうして現在に至る自由民主主義の社会は、自由と平等の象徴である・・・という『物語』を徹底的に叩き込まれたのである。


だがこれは、まさに『情報操作』と『人心掌握』による『戦術』であり、「国家」というものを『内部から』崩壊させる戦術である。
人の感情を情報操作によって動かし、潮流というものを作る。
そしてそれが「暴力的」な方向へと向かう感情であるところの「怒り」を刺激する。
どんな些細な「不満」でも、拡大して見せることで感情も同じように拡大する。
自分の不満ではない感情に同調し、さらに不満は膨れ上がりゆく。

常に「不満のあらさがし」をしている者にとっては、それが嘘か誠かはさして重要ではない。
それをもって相手を「攻撃」出来るなら、どんな情報であれ「武器」となる。

そうやって不満を煽られ続けた人々は、怒りの暴徒と化すほどの大きな潮流の渦となってゆく。
その膨大なエネルギーの渦の中に、少しの「方向性」を与えてやれば、怒りの暴走はいとも簡単にそちらへ向かう。

例えば・・・
「パンがなければ、お菓子を食べればいいのに・・・」
マリーアントワネット王妃が民衆の「飢え」に対してそのように言った・・・という嘘を、渦巻く怒りの坩堝に投げ入れれば、そのエネルギーは一気に王宮へと向かう。
そうやって「国民」によってその「国」を崩壊させるわけである。


いくら不満を持っていようとも、外から攻めれば堅牢に戦う国民となる。
だから「外から」は攻めがたいわけである。
だが、内側から崩せれば意外と脆く崩れ去るものである。
王が国民思いであれば猶更なのである。


自由、平等の戦いで勝ち取ったという『革命』は、かくのごとき戦術で国民を操作し、内部から瓦解させ行く「戦術」である。


『革命』の基本は『分断』である。
それは日本の歴史を見てもわかること。
『大化の改新』に至る過程は、まさに「分断」と「対立」の連続で「内部分裂」を起こしてきたことにある。
そして、あれもまた「侵略」なのである。


自分が「不満の坩堝」の中に居り、不満の感情を引っかけられて振り回されるのは、土台としている『知識』そのものがすでに「創作された」偽物である。
情報というものは常に人の「感情」を刺激するものである。


『革命』というものは、実のところは『侵略』である。
対抗できる「武力」を持たない者たちの、頭脳戦術といったところだ。
民衆を扇動し内部分裂を促進させ、分裂したもの同志を争わせ、十分弱体化するまで同じことを繰り返す。
そうして最後に『革命の旗』を立てた「疲弊した集団」に対して『援助』という名目で『傀儡』としてしまえば終わりである。
それを『革命』として、そして盟主を『英雄』として奉りたて、それがあたかも「自由を勝ち取った」と錯覚させ続ける。
そうすることで人々は「同じこと」を繰り返すようになる。
一向に国家はまとまらず、弱体化を続けてゆく。
「自由」「平等」の名のもとに、自らの手で自らの首を絞め続けるわけである。
それが近現代の歴史である。


水瓶座の時代と言われ、自由、平等、改革の時代と言われ、人々は「悪」を暴き再び「自由の革命」を夢見て『扇動』されるがまま「暴徒」へと化す道を進んでいる。
だがそれは水瓶座の時代に訪れるはずの「自由」ではなく「平等」ではなく「改革」でもない。

「火」をつけそこに「風」を起こそうというものが居る。
それは「火の回りが早い」ということ。
いとも簡単に火は瞬く間に燃え広がるだろう。

「正義」の名のもとに『暴徒』と化しゆく人々・・・
善悪の基準はすでに自分の「感情」である。
だがそこに屁理屈を纏い「正義」を偽装してゆく。
そうして自らの手で自らの首を絞め行くことを再び繰り返す。


知識ばかりで「地(知)を這う蛇」は、感情を揺さぶられ感情の赴くままに暴走しゆく。
自分の感情が同調する「正義の旗」に長蛇の列を為す大蛇(おろち)のように、炎の舌を突き出しながら「ヘイト」の火を吐く大蛇と化した。
もはや聞く耳も持たない。
その目は「正義の旗」に釘付け。
口から「罵声」を火を放つばかり。
これが『ヤマタノオロチ』の大禍である。


空の上から眺めれば、いくつもの大蛇が食い合いをしている絵図が拡がる。
だが地(知)を這う彼らはおのれの「正義」と「暴力」に酔いしれているばかりである。
もはや行き着くところまで行かねば収まらないだろう。



もはや二線に分かれた世界
天翔ける龍と地(知)を這う大蛇

今はすでに風の時代である。





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