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『世界はとっくに移行している』~パンデミック条約締結に向かう世界
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来年5月に制定されるWHOの『パンデミック条約』であるが、「決定」という作業プロセスが「5月」というだけで、実質的な決定は「来年1月」なのだろう。
もう一か月もない。
というの世間では相変わらず政治家の裏金問題を「大事(おおごと)」にして騒ぎ立て、多くの人は「感情」を持っていかれてしまっていることだろう。
そうなると『思考は停止』する。
お金の話となると人はすぐに「火が点く」
よほどお金が好きなのだ。
そんなことをしている間に「国際保健機構(IHR)」の改正案が『ひと月もしないうちに決定』する。
だが人々は「金」の話ばかり・・・・
やはり『制御されてしかるべき』なのだろうか・・・・・・
未だ多くの人々は自分の幸せの在り方すら知らず、よって不幸の原因も知らない。
そして、その原因を「金」に帰結させている。
愚かである。
「裏金」ありきの世界で、その恩恵を「間接的に」受けているものたちまで入れたら、この国のどれくらいの人口が「裏金」に関わっているのだろうか?
受け取る者がいれば当然渡す者もいる。
渡した者は企業の人間であり、ではそこの企業に働く人間は「善人」と言えるのか?
裏金を渡して便宜を図ってもらい、だから選挙で票を入れる。
要はそれだけのものが裏金に「たかっている」わけである。
こういった「ゆすりたかり」も『制御』しなければ無くならないのだろう。
話を戻す。
木々は「水」だけでは生きられない。
太陽の光があり、生きた大地があり、風があり、虫たちが共生することで成り立つ。
では人はどうなのか?自分はどうなのか?
自分は周りにある『何』で成り立っているのか?
『何』が欠けたら自分は成り立たなくなるのか?
『何』が増えれば自分は豊かになるのか?
そんなことを真剣に考えないのだろう。
『金』さえあれば・・・・
そんな愚かな思考に陥っているのだろう。
いったい『金さえあれば』何をするというのだろうか?
単なる『物(実)の秤』でしかないものに、なぜそれほどまでに執着するのか?
自分には何が必要なのか?
これだけ言ってもまだわからないだろう。
さらに話を戻す。
パンデミック条約を遂行する上でのIHRの改定案は来月が締め切りである。
そこまで逃げ切れば「パンデミック条約」によって『裏金問題』で大騒ぎする者たちなど『ナンでもなくなる』のである。
おそらくそこに『憲法改正』も重ねてくることだろう。
そうなるともはや国家に『逆らう』などということは出来ない。
『声を上げることすら出来ない』状態になるだろう。
人権?
そんなもの必要ない。
そして、人権が無いのだから国家主権など意味を持たない。
政治家も『人』であるが、その『人』であるものの『人権』を無視して罵倒しているではないか?
だから『自ら放ったものが返ってくる』だけである。
人権は多くの人がすでに自ら放棄している。
自ら放棄していることに気付かず、人の尊厳を無視する行為を続けている。
「自分はそんなことしていない」
そうは言っても、では「人権」を無視されている人の尊厳を守るための『行動』を何かしたか?
自分は他人の尊厳を守らないから自分の尊厳も守られない。
それだけの話である。
人の尊厳が『失われようとしている』その時に、政治家という「人」を罵倒して何をしているのか?
おそらくこれらを進めている側にしてみれば、そういうことである。
そして、これも恐らく『日本は条約を進める立場』であり、来年5月を待つ待たないの話でもない。
すでに日本は『決定事項』として進行している。
それは、政治家などのさらに上の『階層』で決定されたこと。
だからその準備はすでに進行している。
WHOの出先機関も日本に設置し、CDCの出先機関も日本に設置し、製薬工場も日本に設置し、熊本にも「監視装置」のための工場を設置し、それを運用する「ビルゲイツ」などの人物の「住居」もすでに設置されている。
つまりはパンデミックは『日本から世界に向けて発現』されることになるであろうということだ。
あとは「憲法改正」といったところだろう。
だが、「もはや国民に耳を貸す気はない」といわんばかりに様々な事を進めてきている。
日本はもはや「被害者」ではなく「加害者」へ移行しようとしているのである。
だから、「被害者意識」は捨てることだ。
条約締結を「迫られている」という意識は捨てることだ。
この国は「条約発起者」の一員なのである。
この国に住んでいる限り『私は関係ありません』では済まない。
国民すべて『協力者』となるのである。
国の足元が安定しなければ出来ないから国民を黙らせる。
「人権」など取るに足らない。
そもそも『人権』など意に介していないだろうに。
『尊厳』など考えることも無いだろうに。
『人権』を脅かされると考える前に、自分は『人権』を犯していないか?
人の『尊厳』を大切にしているのか?
よくよく考えることだ。
「裏金」で騒ぎ立て責め立てるわけであり、だから裏金を無くすためには「たかる」ものを無くさなければならない。
それは政治家ではない。
つまりは、騒ぎ立て責め立てているものが、いずれ自分に「返ってくる」ということ。
『放ったものが返ってくる』
あたりまえの道理であり原理であり、それがこの世の真実なのだから。
監視しているから監視される。
人権を無視しているから無視される。
たかっているから税という形でたかられる。
押し付けているから押し付けられる。
すべては「循環」である。
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