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陰陽五行とチャクラ


五行とチャクラの相関は少々複雑である。
複雑というのは「変化」が伴うからである。

カタチ(形式)に思考が固着すれば、エネルギーの循環は途絶えてしまう。
せっかくクンダリーニが覚醒しても、その後、エネルギーを生かせないのはこのためである。

エネルギーの流れは常に「陰陽」両極からの流れがあり、それはいわば「真逆」の流れとなるのだが、正確には「真逆」ではなく「順当」な流れなのである。
それゆえ「型」にはまってしまうと「流れ」自体が掴めなくなる。
「型」にはまるというのはいわば「思考」にはまるということである。

例えば、五行の相生(そうせい)の流れは「通常の流れ」と認識しているため、逆の流れである相乗(そうじょう)は「不具合」となるが、それは「行き過ぎた」場合のことであって、通常から「逆の流れも在る」のである。
それが「陰陽」というものの基本である。

チャクラの流れも然りで、通常、下から上へ「上がる」を善しとしているが、当然のことながら同時に「降る」エネルギーもあるわけで、ただそれを「三次元的」に捉えていると「一方通行」となってしまうことになる。
だが、エネルギーの流れは基本「双方向」であり、それが「陰陽」の「循環」となっているのである。

上るエネルギーは「陰」のエネルギーが上昇するわけで、では「上昇する」とは何なのか?
それは「陽」のエネルギーへと向かうことである。
降るエネルギーはその逆で、「陽」のエネルギーが「陰」のエネルギーへと向かっているのである。

チャクラを三次元的に見たままで「1・2・3・・・・」と数字を付けたことで「本質」を見失うことになった。
けっして「間違い」ではないが、それひとつが「真理」なわけではないということを理解しなければならない。
一方的な見方でしかない・・・ということである。

三次元的にとらえることは大切であり、それによって「型」は明確になる。
だが、そこで終わってはダメなのである。
それをさらに四次元的、五次元的というふうに、一方的見形から四方的、八方的、十方的に「動かして」見る必要がある。
しかし、多くの人が見方を「動かせない」のは、「型」に依存して(固着して)しまっているからである。

ここで一つの「理(ことわり)」を知る必要がある。
それは「型があればその軸がある」ということ。
そして、その「軸」がつかめれば、「型」はその本質から外れることなく容易に動く。

その「軸」を起点にすればチャクラも「生きた」ものへと昇華される。

第1チャクラから第7チャクラという順番は、「初期」の認識として機能する。
だがそれはあくまで「初期」である。
そこに囚われれば、ずっと「初期」のままとなる。

エネルギーの流れは1~7へと、7~1へというものが当然のごとくに在る。
それ以外にも2~6を循環する流れも在る。
さらに、1と7は最も離れているが、同時存在してもいる。
さらに、2・3と5・6は相関関係のように役割を持つ。
さらに、4を中心に2・3・5・6はコントロールされている。
さらに2と6、3と5は相互に影響を与えあう。

また、チャクラとは「次元を跨ぐ」存在の器官であり、当然、肉体とも密接に関係している。
それは五行の五臓との相関関係そのものである。

ただ、多くの人は五臓の役割を単純なものしか知らない。
だからなおさら混乱するであろう。
だがそれも「思考に固着」しているからであり、感覚を優先して後に理(ことわり)を求めれば、おのずと答えに帰着するものである。

それを簡単に示したものが下記の図である。
ただし、これもまだまだ単純な視点ではあるが・・・・・


第1と第7チャクラは陰陽の極みであり転換点である。
最初は伊邪那岐命と伊邪那美命の「ミトノマグアイ」によって「加具土命」が誕生する。
それがクンダリーニの大蛇である。
ただし、それが誕生するためには「岩戸」が開かねばならない。
それも二か所・・・
「天の岩戸」と「千引の岩戸」である。
「天の岩戸」とは第7チャクラ
「千引の岩戸」とは第1チャクラ
天の岩戸が開き、伊邪那岐命の天沼矛(あめのぬぼこ)という「雷(神成)」が、伊邪那美命の天沼陰(あめのぬほと)に突き立って初めて「加具土命」が誕生する。
そして加具土命が岩戸を完全破壊してクンダリーニの道(黄泉平坂)が開通することとなる。
これは「最初の儀式」と言えるクンダリーニの最初の発動である。
こうして第1から第7までのチャクラが開通する(開く)わけである。

だが、以後はこのような発動はしない。
最初の一度だけである。
当然のことで、一度開通したトンネルを掘り続けるのは愚の骨頂でしかない。
言い方を変えれば「いつまでトンネルを掘っているんだ」ということだ。

一度掘ったトンネルを「安定させる」作業が始まる。
それが「チャクラの安定化」である。

チャクラが開くというのは「次元の扉」が開くことである。
つまり、三次元とその上の次元の「相関関係」が始まる。
これが「霊身一致」の始まりとなる。

ここは非常に大事なところである。
であるが、それを大事とする文献が無い。
だから間違う。

「霊身一致」は「黄泉平坂」の開通である。
そこには様々な霊がうようよと徘徊する。
伊邪那岐命が「禊ぎ」をしなければならなかったほどに禍霊がウヨウヨといるのである。
そのため伊邪那岐命は「三貴神」を生んだ。
天の岩戸の先を照らす天照大神と、千引の岩戸の先を照らす月読命と、その狭間の示現の素戔嗚命。
そして禊ぎの神々・・・・

「霊身一致」は「神人一致」へ至る黄泉平坂である。
そこには当然のように「禍霊」が依ってくる。
肉体を求めて依ってくるのである。
それをしっかりと禊ぎ祓いしなければ、身に一致する霊がどんなものになるかわからない。
だから心身をしっかりと掃除洗濯するように禊ぎせねばならないのであるがクンダリーニが開いた多くの人はそんなことはしないだろう。
浄化はするが、しっかりと天の岩戸は開いたまま、ちゃんと天を見据えているか?
千引の岩戸を開いたまま、ちゃんと地を見ているか?
その狭間に存在する自身をしっかりと見据えているか?

天地を繋ぐ「気道」をしっかりと安定させ、清浄に保たなければ天地のエネルギーは循環しない。
循環しなければ清浄さは保たれない。
せっかく開いた岩戸も閉じてしまい、淀んだエネルギーが鬱屈してしまうこととなる。
そうして鬱屈と発散を繰り返す巡りに陥ることとなる。

クンダリーニの気道が安定したら次の段階へと移行する。
それは「木花咲耶姫」と「乙姫」がエネルギーの発動を司る。
第2から第6までのチャクラのエネルギー循環である。
「産屋」に入った木花咲耶が産屋に火を放つ。
そうして「彦火々出見命」以下三神が誕生する。
丹田に蓄えたエネルギーを発火し、上昇するクンダリーニの龍を生み出すわけである。
そのエネルギーをコントロールするのが乙姫であり、産屋の業火から生まれた子を助けるというのは、呼吸によってエネルギーをコントロールするわけである。
そうして再び「産屋」にエネルギーを受け渡す。
再び産屋は燃え上り、龍が誕生し、その龍を乙姫が上り下りさせる。
そうして循環が生まれる。

「ミトノマグアイ」を終えた伊邪那岐命・伊邪那美命は既に睦まじく共にある。
第1チャクラと第7チャクラは遠いが近い場所にすでに位置している。

このように、書いてしまえば簡単に見えるが、安定させるのは一苦労である。
とにかく「黄泉平坂」が開くのである。
そこからどれだけのものが押し寄せてくることか・・・・・・・

それらに負ければ簡単に「堕ちて」しまうのである。
堕ちれば天の岩戸は塞がれて、「神人一致」は成らないのである。






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