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『何でもありの左傾化社会』~概念世界の終焉へ向かう前の峠



LGBTQやポリコレやSDGsなどの「左翼思想」は、思考が左傾化したためであり、いわゆる左傾化とは「左脳化」で、思考が「左脳」だけでぐるぐると回るということ。

頭だけで、理屈だけで「自分の概念が正しいんだ」と主張し合うだけの議論を繰り広げ、「論破」だのと浮かれていい気分になっている幼稚さは、議論ではなくただの「論破ルーム(ロンパールーム)」そのものである。

*ロンパールームというのは昔の幼児用のテレビ番組である。


違うものを同じにし、同じものを違うとして「屁理屈」をこねて左脳で勝手に「概念」を作り出して「自分が正しい」というふうにしているだけである。
差別の概念、多様性の概念、環境の概念・・・・
どれも「概念」でしかないものの中から「どの概念を選択するか」という中で、けっして「譲り合い精神」というもののない議論には何の生産性も無い。
概念の正当性だけを突き詰めて、一番大事な「現実との整合性」を怠っているからである。
現実すら一つの「概念」に押し込めて、「違うものを同じ」にし、「同じものを違う」という屁理屈で「概念」を構築して出来上がった「概念」は、現実離れした居心地の悪い「概念と言う塀に囲まれた世界」
つまり「箱庭」なのである。


そんな屁理屈で作り出された箱庭は、およそ人が住めるようなものでは無くなっており、そこに降臨する『神』はまさしく「キメラ」である。
キメラのような化け物を『神』と崇め、ただ単に『白い翼』を与えて『神』に見せているだけのものでしかなく、だがそれは『神』というにはあまりにもおぞましい姿をしている。

そのような『神』を信仰する脳から生み出される「箱庭」は、人が「キメラ」とならなければ住めないような世界である。


屁理屈だけで概念の正当性を突き詰めて、現実を全く無視したいびつな概念世界を作ろうとしている者たちは、現代社会が生み出した「賢き幼児」たちであり、頭だけは良い「ロンパー(論破)ルーム」の住人たちである。

自分の概念の正当性ばかりを突き詰め、現実を無視し続ける賢き幼児は、その閉鎖的な概念世界の中で自らを「王様」のように仕立てている。
幼稚なスピリチュアルの人々が自ら「神の化身」とするように、概念世界の中だけで想像逞しく概念の正当性を自らで組立てて、頭の中の「箱庭」に入り浸っているのである。


本来、議論とは「現実にある多様性との折り合い」を如何につけていくかという事であるのに、もはや自己の概念の正当性ばかりをぶつけ合うような場となって、現実はどこかへ置き去りとなってしまっている。
一番大切なのは「正当な概念」であり、その概念に現実のほうを「従わせる」という・・・『天地逆さま』な状態なのである。


もはや世界は「現実のバランスを取る」ということから、「現実を概念に従わせる」時代となっている。
その最たるものがSDGsでありLGBTQでありポリコレであり・・・・・
ワクチン政策も「概念に従わせる」というものになり、その装置としての「パンデミック」という『プランデミック』を用意して「強制的に従わせる」というふうになってくる。
だから「賢き〇〇」な人ほどそれを率先し、それに従うこととなる。



論破、論破という人ほど「キレ」やすい。
頭を鍛えるばかりで心を鍛えられていないからである。
忍耐が無く、だから「押し付け」、押し付けられなければ「キレ」て駄々をこねる。
幼児である。

自分が想像し創造した概念に酔いしれ、概念に人を捻じ曲げ合わせようとするいびつな箱庭世界へと向かおうとする「賢き幼児たち」
そんな概念世界から「目覚めて」現実を生きようとする人々
世界は二つに割れているのである。


新興宗教の教祖が生み出した概念のキメラの神を信仰するように、多くの人は「自分に合ったキメラ神」を求めている。
自分に都合のいい「キメラ」はどれか?
自分で創造出来ない人は、近しいキメラに寄せられる。

おそらく現代人の多くはそのようになっているだろう。
ワクチン接種率8割という数字を見ればそれがよくわかる。

ワクチンの危険性に気付いた・・・・だけでは「概念世界」から抜け出したことにはならない。
「概念」に吸い寄せられた自分というものに気付かなければ、キメラの箱庭からは脱出出来ないのである。


思考が「左傾化」して左脳の檻の中をグルグルと回っているだけで、右脳が感知する「現実」を今までほったらかしにしてきた思考は、現実と概念の区別が出来なくなっている。
現実を概念で理解ばかりしてきて「感じる」ことを置き去りにした脳は、そうとう鍛え直さねば子供の頃の右脳が使えていた頃に戻ることは無い。

『ただ感じろ』といくら言っても、人はすぐに「概念」で「感じたことに」しようとする。
今まで散々に言ってきたのだが、なかなか人は改められない。

整理されず散らかった左脳
曇って映らない鏡となった右脳

整理せず、曇りも取らず、概念の中で「出来た」ことにするばかり・・・

それが「賢き幼児」となった現代人の姿であり、その人々が崇めるキメラ神の化け物
『白い羽根が付いているから神』という概念で『神』としているだけのキメラの化け物を崇め、そのキメラの正当性を論じたところで、新たなキメラが創造されるだけである。


日月神示で言う「世の元からの生神」というのは、このような「キメラの翼」など持たない純粋な神である。
人の想像の概念と言う「想念」で創造されたキメラ神ではない「元の神」
それはけっして「概念」の中に現れることは無い。




ひふみ神示 空の巻 第十二帖
学の鼻高さん何も出来んことになるぞ、今に世界から正真(しょうまつ)が段々判り来て、あわてても間に合はんことになるぞ、今の内に神示よく肚に入れておけよ、この道には色々と神の試(ためし)あるから漫心するとすぐひっくり返るぞ、考へでは判らん、素直結構ぞ。日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物 間違へるでないぞ、食い過ぎるから足らんことになるのざぞ、いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、慢心取違ひ致すなよ、代へ身魂いくらでもあるぞ。学問の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ、商売の世も済みたから商売人も閉口するぞ、力仕事は出来んし、共喰するより他に道ないと申す人民許りになるぞ、今迄とはさっぱり物事変るから今迄のやり方 考え方 変へて呉れよ、神示通りに行へば其の日その時から嬉し嬉しざぞ、此処は落した上にも落しておくから、世の中の偉い人には中々見当とれんから、身魂の因縁ある人には成程なあと直ぐ心で判るのぢゃぞ、九の花咲けば皆よくなるのぞ、九の花中々ぞ。




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