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統一運動《4/26 今日は何があった?》

1954年 真のお父様、ソウル城東区北鶴洞に転居👇
1972年 日本、世界統一十字軍編成👇
1972年日本統一教会幹部への御言(~27、本部教会)
1999年 世界真の家庭世界化前進大会 フィリピン、マニラ、マニラ・ホテル
2010年 平和指導者・天安艦犠牲将兵追慕統一聖和祝祭記念大会 忠清圏、清州、ラマダ・プラザ・ホテル
2011年 天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会 スペイン、マドリード、ウェスティン・パレス・ホテル

《1954年 真のお父様、ソウル城東区北鶴洞に転居》
真の父母経p261
北鶴洞(プカクトン)の三つの門の家で協会出発

 協会の看板を掲げた北鶴洞の三つの門の家は、軒先に手が届くほどのみすぼらしい家だった。そのため、看板は近所の子供たちが外しては遊びに使ったり、反対する人がたたきつけて割ってしまったりしたため、再びつなげて掛けるなど、何度も壊された。頭を下げて三つの門を通過し、家の中に入ると、二、三坪の広さの庭の片隅に井戸があり、その横に甕(かめ)を置く小さな台があった。右には、三人が横になればいっぱいになり、足がつく半坪ほどの居間があり、左には、一坪にならないサランバン(客間を兼ねた主人の部屋)があった。居間には男性たち、サランバンには女性たちが寝泊まりした。低い天井は、頭がつくと板が傾いた。このように、協会は草ぶき小屋のような所から出発したのだった。

 真のお父様は、少ない人数しかいなくても、まるで数千人いるかのように、上着が汗でびしょぬれになるほど、大きく力強い声で祈り、み言を語られた。一人に対してみ言を語られるときも、一時間以上、涙を流しながら切実に祈られた。神霊に満ちた恩恵によってその場にいる全員が痛哭し、涙で床をぐしょぐしょにぬらした。一九四五年の光復後、準備されたキリスト教が真のお父様を受け入れなかったため、蕩減路程を経たのちに協会を立てて、世界復帰の出発基台を築かれたのである。
13 私たちには世界的な(伝道)機動隊があるので、これから優秀な成績を収めた人がいれば、彼らを連れて歩こうと思います。世界各国にいる(伝道)機動隊員を激励するために、世界巡回をさせようと思うのです。今、(伝道)機動隊がアメリカに編成され、イギリスに編成され、ドイツが三番目です。日本と韓国にも、(伝道)機動隊を編成するでしょう。そのようにして、お父様が世界を旅行するときは、(伝道)機動隊を激励するために優秀な人々を連れていくかもしれません。

 今、韓国では大学を買収しようと計画しています。そのようにして、成績の良い人は韓国に留学させようと思います。皆さんは、世界の舞台を私たちの足場にして活動できる、本当に素晴らしい時代に生まれたことを知って、立派に闘わなければなりません。

7 私が一番初めに付けた統一教会の看板は「世界基督教統一神霊協会」でした。キリスト教を統一することも大変なのに、神霊まで統一しようと言ったのです。当時、お父様はお金が一銭もありませんでした。横になると足が(壁に)つくくらいの部屋なのですが、それも借りたものでした。そこから始めたのです。訪ねてくる人たちのために、僕のような立場で私はやるべきことをすべてやりました。私が、僕の立場、養子の立場でそのようにして、合格していくのです。そうして私が解放されていくのです。

8 最初に統一教会の看板を付けた家は、粗末な家でした。その家には三つの門がありました。私のように、背が高くて太っている人が入ろうとすれば、体を横にして頭を下げて入らなければなりません。そこに「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けました。世界のキリスト教を統一しても、ものすごいことなのに、神霊的な世界までも統一しようと言ったのです。世界のキリスト教も統一しますが、神霊的な世界も統一しようという協会なのです。どれほどすごいでしょうか。軒先に「世界基督教統一神霊協会」という看板を付けたのですが、のぞいて見ると、門が三つです。

9 統一教会の看板をソウルの北鶴洞にある家に付けたのですが、当時、その家は、恐らくソウルで最も小さな家だったでしょう。部屋に入って横に寝れば、足が(壁に)つきます。縦に寝れば、何とか足を伸ばして寝られます。そのような部屋が一つあり、そのほかにも部屋がありましたが、その部屋も同じような部屋でした。それで、その家が有名なのは、門が三つあるということで、「三つの門」と言います。その門は、大きいものではなく、頭を下げなければ入れないほどの小さな門です。また、看板を付けたのですが、軒先が手の届く所にあるので、看板の位置は子供も触れるほどの高さでした。

 看板を、大きな家に付けることができず、想像もできない、誰も信じられない最も小さな家に付けたのですから、誰がそこに関心をもつでしょうか。看板が同情されるほど、どれだけぞんざいに扱われたか分かりません。近所の子供たちが遊ぶ時は、これを外して遊び道具に使ったりもしました。それにどれほど傷がついたか分かりません。また、反対する人が来ては、「キリスト教を統一するとは異端だ!」と言いながら、それをたたきつけて二つに割ったこともありました。それでも、そのような歴史的な看板をそのまま捨てられないので、その看板に釘を打ちつけてつなげてから、また掛けたのです。

10 私は、いくら軒の下や、穴蔵にいたとしても、「私が神様をここにお迎えしなければならないのに、この場は精誠が足りない」と思いました。「復帰原則において、最も小さな家で世界的な精誠を尽くせる代表者が現れなければならないのではないか」と思ったのです。これがお父様の思想です。それから、「もう少し大きな家で世界的な代表に適応する精誠を尽くさなければならないのではないか」と考えたのです。

 このように、統一教会は小さな所から出発しました。北鶴洞の三つの門の家から発展して、このように大きくなってきたのが統一教会です。これが統一教会の主流思想です。そのような立場で、天下にすべて知られるほどうわさを立てながら歩き回っても、「統一教会は小さい」と非難する人は一人もいませんでした。その立場で何をしたのかが問題です。

《1972年 日本、世界統一十字軍編成》
真の父母経p646

13 私たちには世界的な(伝道)機動隊があるので、これから優秀な成績を収めた人がいれば、彼らを連れて歩こうと思います。世界各国にいる(伝道)機動隊員を激励するために、世界巡回をさせようと思うのです。今、(伝道)機動隊がアメリカに編成され、イギリスに編成され、ドイツが三番目です。日本と韓国にも、(伝道)機動隊を編成するでしょう。そのようにして、お父様が世界を旅行するときは、(伝道)機動隊を激励するために優秀な人々を連れていくかもしれません。

 今、韓国では大学を買収しようと計画しています。そのようにして、成績の良い人は韓国に留学させようと思います。皆さんは、世界の舞台を私たちの足場にして活動できる、本当に素晴らしい時代に生まれたことを知って、立派に闘わなければなりません。

日本統一運動史(光言社)p322


 「世界的勝利意識をいかに日本の統一教会の食口たちが持つかというのが現在の重大な問題である。 日本のために闘うのではありません。
世界のために闘う。・・・摂理上から見た場合に日本が政治的、外的立場においてもアジアの運命を左右する中心的立場に立ったと同じように、内的外的におきまして統一教会の摂理の中心として神は絶対的摂理の勝利のその分岐点をその日本の統一食口のなりゆきによって決めるというような重大な地点に立っているということを我々はわからなければなりません。
 そんな女として立った場合には、女一人ではありません。 世界的連帯、その誠意を持ったその代表的女である。 男として立った場合には世界的連帯を成している代表的な男として立たなければならない。 その男女が...一つになることによって、 国家的エバ的基盤は造られる。親・ 夫婦・子供が一つになり、母・嫁・ 娘が一つになって、それが国民が一緒に一つになるようなそういう基台を完成させない以上は、エバ国家は絶対生まれてきません。」 (抜粋)✍️


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