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統一運動《7/4 今日は何があった?》

1955年 ソウル治安局が、兵役法違反などの容疑で真のお父様と幹部4人を拘束 👇
1965年 中南米巡回、5カ所の聖地選定 コロンビア、ボゴタ
1971年 「週間宗教」創刊 👇
1980年第1回「国際統一思想セミナー」
1985年ダンベリー刑務所から社会復帰センターに移られる
1989年韓国・日本教会姉妹結縁式(韓国)
1995年 「真の家庭と私」中南米17か国巡回講演 ニカラグア、マナグア、エル・オロフ・パルメ
2001年 神様祖国定着大会 真のお父様、大邱、インターブルゴ・ホテル/真のお母様、ソウル江北、ロッテ・ホテル
2004年「平和統一連合」創設大会(日本) 👇
2006年 「天宙平和連合」祖国郷土還元120か国大会 スロバキア、ブラチスラヴァ、国立劇場
2007年 「2007世界文化体育大典」、天安、柳寛順室内体育館

《1955年 ソウル治安局が、兵役法違反などの容疑で真のお父様と幹部4人を拘束》
真の父母経p773

西大門刑務所での収監生活

 真のお父様は、囚人番号三百九十番を付け、金元弼、劉孝元、劉孝永(ユヒョヨン)、劉孝敏(ユヒ ョミン)など、幹部四人の弟子と共に西大門刑務所に入監された。記録に残る面会の行列をつくった 食口たちに対し、真のお父様は、決して動揺しないことを願われた。一方、看守をはじめとする刑務 所の幹部と監房の囚人たちの中には、真のお父様の人格に感化され、敬意を表する者もいた。

7 一九五五年に西大門刑務所に入ったことがあります。その時、「統一教会の文先生はああだこうだ」 と言って、大変なうわさになりました。私が手錠をかけられて入ると、拘置課長が私を呼び、気合を 入れようと乱暴に振る舞いました。私は心の中で、「あなたが一カ月以内に私に屈服するかしないか、 今に見ていなさい」と思いました。
 最初、入る時には、動物園の猿でも見物するかのように、猿扱いしようとしたのです。ですから私 は、「どれ、あなたたちがやりたいようにやってみなさい! 私はあなたたちのようなつまらない男で はない」と思いました。こうして一週間以内に、そこにいる看守たちをすべて意のままにしました。 監獄でも「先生」という言葉を聞くようになりました。出所する時には、所長まで出てきて、「文先 生!」と言ったのです。

真の御父母様の生涯路程 3
第三節 西大門刑務所の受難
七・四事件、一九五五・七・四~一〇・四

一 ソウル中部警察署(治安局特殊情報課)連行

七・四事件(七・四午後五時、奨忠洞教会)


 一九五四年に統一教会という看板を掲げて出発するようになりました。その時、韓国は国家的な反対をしました。全体が反対したのです。第二次新約蕩減時代においても、一九五五年を中心として、先生がまた監獄生活をしたのです。監獄に入るという出来事が起きたのです。三年間は、常に蕩減をしなければなりません。原理がそのようになっています。

 それで一九五五年度に事件が起きたのです。七月四日に監獄に入っていったのです。彼らは一つになって「レパレンド・ムーンを捕まえて殺せ」と言ったのです。その時の罪名が何でしょうか。「共産党だ、何だ」と言いながら、この世の悪いことをすべて、私に負わせたのです。過去の歴史の過ちも、すべてレバレンド・ムーンになすりつけたのです。悪い名前であれば、すべて出したのです。

 先生が韓国人であるので、韓国を中心として、摂理の起点が出発することにより、韓国におけるキリスト教は、韓国内のキリスト教としてとどまるのではないのです。摂理と全体世界を代表したキリスト教の位置にあるというのです。そのような立場に立った教会と国が反対すれば、全世界が引っ掛かってくるのです。彼らは先生一人をどのように負かすかということが問題でした。そうした複雑な渦中を通過しながら、イエス様が十字架にかかっていったのと同じように、最後に、サタンに引かれていく出来事まで起こりました。七・四事件が、その代表的な例です。

 その時に、ばかにされ冷遇されたことは、私は今でも忘れられません。彼らがしたことが、私の骨髄にしみ込んで、いまだに忘れられないのです。

 私一人が苦痛を受け迫害を受けることはかまわないのですが、神様が数千年間準備した国と民主世界のすべての基台が崩壊してしまったというのです。

事件をけしかけた最終的背後勢力

 大韓民国で、私は李政権時代に監獄生活をしました。ですから李政権は怨讐です。その配下の者たちが私に、鉄刀を持って脅迫し、恐喝し、あらゆることをしました。彼らは私を追放するために監獄に入れましたが、私はこの大韓民国のために監獄に行きました。

 西大門刑務所事件の時、李博士が五大長官と一つになり、朴マリヤと梨花女子大とフランチェスカの威信を立てるため、あらゆることをしたのです。

 文教部と、文公部(その時は公報部)、それから内務部、法務部、外務部の五大長官が一つとなって、権力で文総裁を捕まえようとしたのです。

 その五大長官が、「文総裁を除去しろ」という指示を受けたことは知っています。その下にいた人たちが、私のところに来て報告したのです。「国がキリスト教を中心にして、あなたに対して、こうこうこのようにしようとしています」と言ったのです。

 統一教会といえば恐ろしくて隠し始めたのです。しかし人々は悪くて秘密にしたのだと思っていました。自由党も、本当は、恐ろしくて包み隠しながら「行ってはならない」と言ったのです。彼らは憎くてというよりは、恐ろしくて反対したのですが、人々は悪いから反対するのだと思ったのです。恐ろしくて反対しながら、最も悪いと反対して、大騒ぎしたのです。

兵役法違反容疑

 一九五五年の梨花女子大事件によって全国家が大騒ぎし、文総裁を捕まえてぶち込もうとしたのです。東亜日報が支持すると、それに対して政治的圧力が加えられました。そうして五代長官が文総裁を捕らえて殺そうと計画したのです。李政権を中心として、そういうふざけたことをしたのです。しかし、いくらよく探してみても、私には罪がありません。あらゆる凶悪な罪の東をすべて着せたのですが、罪に引っ掛かる内容がないのです。

 あらゆる怪しいうわさを立てて、「何がどうだ、こうだ」と言って私を調べました。しかし調査してみると何もないので、捕まえて殺すことができますか。それでくまなく探してみて、「兵役回避だ」というのです。私は北韓から出てきたのですが、監獄生活をして出てきたので、兵役の年齢は過ぎていたのです。それをもって兵役回避だと起訴したのです。それも事実を調べてみれば、法のとおりにしたというのです。

 容疑をかけるなら、引っ掛かるものがなくては駄目でしょう。うなぎと同じです。口に掛けても、つるっと外れてしまうし、尾っぽを引っ掛けても、つるっと外れてしまい、あれこれしてみても、つるっと外れてしまうのです。どんなにつるつるすべることか、引っ掛かるところがないのです。世の中が大騒ぎをして、文総裁は悪いやつで民族の反逆者だから捕まえなければならないと言い、そうしてこそ既成教会の千年、万年の王国が開けると思っていたのですが、これがつるつると抜け出てしまうのです、引っ掛かるものがなくては駄目でしょう。

拷問の取り調べ

 私は口があっても話しません。この民族の前にしみ通った多くの恨があっても耐えます。それは先生が骨なしだからではありません。先生は骨のない男ではありません。イエス様が三十余年の生涯を耐え忍んでこられたことを知っているがゆえに、また神様がイエス様以降二千年間、耐え忍びながら、み旨を成し遂げるための基盤と時を準備し、強固な土台を築くのに労してこられたのが復帰の路程だということを知っているがゆえに耐えるのです。

 「台風よ吹け。吹雪よ吹け。冬の季節よ来い」と言いながら耐え忍ぶのです。そのようなものはやがて過ぎ行くようになっています。今日の社会で自分自身の幸福を誇る人々も同じです。過ぎ行くようになっています。

 では、先生の責任とは何でしょうか。罪に追われ、監獄に入った時、先生はその立場で何をしなければならないのでしょうか。世界人類のために打たれながら、世界の苦難をすべて引き受けて一つ残らずなくさなければなりません。「世界の苦難の道を開拓して行くのに、これくらいの困難はなくはないであろう」と思いながら、苦難をむしろ当然と思ったのです。

 拷問もたくさん受け、あらゆることをすべて受けましたが、「私が行く道は鉄石と同じだ。私が犠牲の道を行くとしても、希望の国を成す時までは戦って生き残るのであって、今死んではならない」と思いました。

 私は、神様に侍っていくなかにおいて、「私」というものを考えたことがありません。むしろ私が同情しなければならない神様であると思いました。西大門警察署に引かれていく場においても、牢獄の身、鉄格子に閉じ込められる身になっても、そうでした。み旨の道を行くための最初の歩みを出発したときから、「このように命が残っているので感謝します」と言って、むしろ神様を慰めてさしあげました。今日の統一教会の伝統的思想をもってきた歴史的な蕩減基準を残すために、そのような道を歩んできたのです。それは誰が侵犯しようとしても侵犯することはできません。

 私は西大門刑務所に入っていきながら、大韓民国に対して「滅びろ」とは思いませんでした。「既成教会よ、滅びろ」とは思いませんでした。「彼らが分かっていない罪をお許しください。かわいそうな大韓民国が罪を犯したことを蕩減するように、私にすべてを負わせてください。私を非難して、福を受けることができるならどれほど良いでしょうか」と、そのような気持ちをもっていました。

 「神様、私が愛する民族を私以上に愛してください。神様、世界を私以上に愛してください。私のために同情する必要はありません。もし私が死んでも気の小さい男としては死にません」。そのように考えたのです。世界万民を率いて導いていかなければならない責任がこの足らなき者に任せられています。その過ちを過ちと見ないで見逃してくださり、私にむちを加えることによって、世界人類を補うことができるならぱそのようにしてください、と思いつつ戦ってきたのです。

 それを神様が気に入り、神様の空になった胸を燃え上がる炎として満たすことができる要件となったがゆえに「統一教会の文なにがしは滅びる場に行ったとしても、滅びることはない」と保障してくださったのです。

調書作成


 私にかなう者は、誰もいません。警察署で調べを受ける時も、調書を作成する人が私と話をすれば、その人が私に巻き込まれてしまうのです。「あなた、今調書を書くのに、この話をなぜ書かないのか。今これを書かなければ駄目だ」と言って、私が教えてあげるのです。ところが、その教えてあげた話で、調書内容があべこべになるのです(笑い)。すると、そのように書いておきながら、びりびりと破くのです。

 調書を作成するって、何を作成するというのですか。遊んであげるのです。「あなたを見ると、このような容貌をしている。女房はこんなふうだな。行儀が悪くて、小便を漏らしても恥ずかしいということを知らないんだな」と言うと、「どうしてそれを知っているのか」と言うのです。それで「こいつめ、それが分からなければ、私はここに入って座っていないよ」と言うのです。「優れた人が入ってくるのだろう。ろくでもない人間が入ってくるか」と、からかって遊ぶのです。

 その時に治安局長をしていた人たちの名前も私は忘れないでいるのですが、言わないのです。一度、みんな呼んで会う時もあるでしょう。当時、足を組んで訓示したその人たちが、今日もそのような姿勢で現れるでしょうか。

《1971年 「週間宗教」創刊》
真の父母経p1272

14 統一教会は、韓国宗教協議会や「週刊宗教」を中心として、宗教の最高責任者たちを一つにするための作戦を行っています。その風土がある程度造成されれば、 すべての宗教団体は超宗派的な立場で、宗教の怨讐である共産勢力の脅威から国家の運命(を守ること)に責任をもつ思想的基盤になり得るようにしなければな りません。
 ですから、私たちが宗派を超越し、超宗教的な立場で反共の姿勢をどのように確立するかが、何よりも緊急な問題とならざるを得ないのです。
 それゆえ、私たち個々人の使命ももちろん重要ですが、全体に責任をもった立場で、このような問題を急いで解決しなければならないので、超教派運動をしながら韓国宗教協議会まで導いてきたのであり、また、それを中心として「週刊宗教」までつくっておいたのです。

15 週刊宗教社は、統一教会の週刊紙を作るために設立したのではなく、宗教の週刊紙を作るために設立したのです。これに関するたくさんの計画があります。今後、何をしようとしているのでしょうか。
 今、宗教界は、自分の宗派でなければならないと言って、「独不将軍(トクプルチャングン)」(何でも自分の考えどおりに一人 でする人)の振る舞いをしています。そのようにしていては、何もできません。休戦ラインで北の共産圏と対峙している韓国の立場から見れば、なおさらそうで す。神様が嫌う共産主義であり、人類が嫌う共産主義です。宗教者同士で心を合わせ、決着をつけなければならない第三の怨讐であり、大きな怨讐が残っていま す。それは、国内にいる怨讐より、さらに大きな怨讐です。
 ですから、宗教者たちがまず合同作戦を行わなければなりません。合同作戦を行うためには、誰かがそのような風土をつくらなければならないのです。

《2004年「平和統一連合」創設大会(日本)》
日本統一運動史(光言社)p309

 韓半島の平和的南北統一、 アジアと世界の平和実現を目指す 「平和統一聯合」の創設大会が、 7月4日に開催されました。 韓国から徐英勲大韓赤十字社総裁、 金玫河 元韓国大統領統一顧問、 李京埈鮮文大総長らが出席したほか、日本からも各界の有識者が多数参加しました。
 来賓紹介、 祝電紹介に続いて金永吉事務総長が経過報告を行い、IIPC(超宗教超国家平和協議会)が7次にわたって在日同胞セミナーを開催してきたことなどを紹介しました。挨拶に立った具末謨・同連会長(韓国・ 元木浦大兼任教授)は在日の具体的な和解運動として民族文化教育運動、 遺骨発掘と慰霊の活動、 在日の離散家族の再会運動などを挙げ、 「栄光に満ちた在日同胞の姿を後孫に残そう」と訴えました。 郭錠煥IIPC世界会長が 「真の平和統一の道」と題して基調講演を行いました。 郭会長はその中で、 韓半島の分断は単に領土と民族が南北に分かれたということではなく、摂理史の世界的な展開を縮小したものとし、 「韓半島での対立闘争が克服され、 平和統一が成就されたら、それは世界と人類全体が真の平和統一に至るモデルになる」 と語りました。
 そして、「これまで在日同胞の皆さんは摂理史上の犠牲者でしたが、これからは平和時代の主人公であり、先駆者です」と述べ、真の愛の実践で平和と統一を導くよう訴えました。
 その後の晩餐会では、劉正玉常任顧問が挨拶に立ち、「すべての同胞が互いに祖国統一のために一つになりましょう」と呼び掛けました。
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