遠くの町を歩くと、新しい自分に出会う
倉敷の町を歩いた。
いつもすごしている地域とは遠く離れた町を、いつもは着ない浴衣を着て、ゆっくりと歩いた。特に目的地も決めず、観光をするわけでもなく、ゆっくり歩きまわることそれ自体を楽しんだ。まわりの観光客はほとんどが洋服で、浴衣や和装をしている人はまばらだった。
いつもと違う町を、いつもと違う格好をして、いつもと風に歩くと、自然といつもと違う考えをしていた。
いつもは、仕事の成果をいかにあげるか、いかに効率よくすすめるか、いかにプライベートのタスクを充実させるか。なんて、少し短い時間軸で、目の前のことを考える時間が多い。
休日に時間をつくってじっくり自分を考えると、人生を通して何を成し遂げたいか、どんなキャリアを歩んでいきたいのか、今の自分のスキルは社会で通用するのか、自分は成長できているのか。なんて、やや長い時間軸で、将来のことを考えることもある。
倉敷の町を歩いていたときは、そのどちらでもなかった。
その時間にその場所を歩いていることに喜びを感じていた。倉敷の美観地区を、浴衣を着て歩いていること、ただただそれが楽しい。「ああ、日本人で良かった」と。
遠くの地域に行って、その地域の文化に合わせて、その地域に溶け込んでみると、他の一切の考えをせずにその時間をシンプルに楽しむような、いつもとは違う時間体験を得ることができる。
今回は観光地である倉敷の美観地区を浴衣を着て歩いただけだが、それでも単なる観光ではなく、倉敷の町に自分が溶け込んだような気がした。その地域の「暮らし」にまで溶け込むと、その地域の人になりきって、新しい自分が生まれる気がする。それがなんだか楽しい。
僕が単なる観光旅行ではなく、友人を訪ねて旅行をするのが好きなのは、その地域の「暮らし」に溶け込むことができるからかもしれない。
そこで、今まで出会わなかった新しい自分に出会っているのだ。
ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。