20240601

膝丈より上のワンピースを着て出かける。
小さなバッグで来たかったが、私が持っている唯一の小さなバッグは小さすぎて、図書館に寄りたかったり、薬やたばこが入らないので断念。今度中くらいの少しかっこつけられるショルダーバッグを買おうと思った。
服にメガネが合わないので、持って出かけることにしたので、裸眼だと視界が悪い。
それに合わせて、膝より上のスカートを着て出かけることにどきどきした。
年齢とかじゃなく、私がこんな格好して外へ出て、いいのだろうかとい気持ちがどこかにある。

電車内で読書。「象の皮膚」を読み終えた。
主人公の加害性と被害性のバランスが良く、ある側面だけを切り取れば卑屈すぎることに辛くなりそうだったけど、そうはならず、確かに主人公が思う自分に対しての「かわいそう」という自意識を、素直な気持ちで撫でてあげたいと思うときがしばしばあった。

渋谷に着いたら、服装のことはどうでも良くなった。同じように、短いスカートを履いている人はたくさんいた。だからというけではないが、別に他者からの視線を気にする必要もさぼどないことを思う。

道を間違えたので、ユーロスペースのあるホテル街を通って、行くことにする。レッドブルの殻の空き缶が風にならって坂道を転がっていた。 ユーロスペースをこえると、Bunkamuraに着いた。
人だかりがあって入り口を確認した後ローソンへ行き、いろはすももと最近集めている名探偵コナンのカード付きお菓子を買った。
ローソンを出てすぐにコナンのカードをあけると、うれしいやつだった。
お菓子はスナック菓子なのであけると腐っちゃうから、 Bunkamuraの脇道にそれて、木陰でこっそり食べた。

食べ終わって入り口に向かう。エスカレーターを登りオーチャードホールの入り口にいくと、入場するための列ができていて、まだ開場していなかった。人がたくさんいる。
綺麗な服装をしている人が多くて、おしゃれしてきてよかったと思った。
関係者の受付ところにいる人が2、3人いて、その人たちは全員全身真っ黒のドレスを着ていた。そうゆう風習なのかなと思った。

初めてのバレエ公演。いつも小劇場や、ミニシアターに行くし、ライブも小さいライブハウスしか行ったことがなく、(東京ドームもない)大きなホールなどは久しぶり(学校で来る時のようなやつ)以来かもしれない。
綺麗な艶のある柱、明るくて大きな照明、高貴な雰囲気のマットな床に心が踊った。

私の席は3階だった。
オーチャードホールに入ってからも階段を上がり3階まで行くのだが、初めてのことでどこへ向かえばいいのか分からずとりあえず上へと歩いた。
やっと3階への入り口を見つけたと思ったら、2階ででもまた階段を登るわけではなく、同じ通路を少し北上すると、3階席の入り口があり、頭が混乱した。3階席といってもその入り口に入ると席は、段階的になっている構造だった。
私は4列目、会場の本当に一番後ろから2列目だった。
そこから見える舞台は遠い。上から見る形だ。舞台の前には生演奏の奏者。その前に塀があった。30分前から座っている人たちもいれば、まだいない人もいた。生演奏をとても楽しみに思った。

自分が座っている位置から、舞台の写真を撮りたかったけれど、写真撮影は禁止だったので撮れなかった。

始まる前に、演奏の準備が始まった。
一階にいる子供が子供ふたりが、塀越しにそれをのぞいていた。

ずいぶん可愛い花柄のワンピースを着ている女の子が、隣のブロックの斜め前に座る。肩がふんわりしている。母さんとばあちゃんときている。明らかにバレエをやっている少女や、長くファンなのであろう人たちなど、いろいろな人がいた。
関係者ってどこに座るんだろうとか考えていた。

前半が終わり休憩にはいった。
最初は舞台の豪華さや、ダンサーの動きに夢中になったけれど、次第にせっかく見にきたというのに、他のことばかりが頭に浮かんできた。
出てくる出演者が、知り合いを連想させたり
何も話さないバレエのダンスだけを見ていると言葉だけが回想として流れてきた。

言いたかったけど言えなかったこと。
本当は思っていたのに言えなかったことが
たくさん出てきた。

「普通長く付き合ったら〜、などの一般論で納得させようとしてくるのが嫌だった。納得できなかった。自分の気持ちを話してほしいと思っていた」
「何か言いたいことが本質的にあるのに飲み込む作業を私の目の前でしないでほしい、話してほしい」
いくらでも出てくるようだった。

休憩中、飲食スペースに行って飲み物を飲んだ。そこにはシャンパンを飲む、慣れた様子のバレエつうの人たちや、コンビニのおにぎりを食べる人たちがいた。休憩時間は25分、みんなそうやって過ごしたりもするのかぁと思った。私はお腹が痛くなるのが怖いので何も食べない。
トイレに並んでいたら前にいたおばあちゃんに話しかけられた。おばあちゃんは、お目当ての方がいたけれど、その方は急遽怪我で降板になった方で、そのことを知らなかったらしく、その話をきっかけにいろいろ話をしてくれた。少し気がほぐれた。
後半はちゃんと見たいと思った。

全部見たけど、全然集中できなかった。
何故か3ヶ月前に別れたパートナーのいろんなことを思い出して、見ながら泣いてしまった。それはバレエを見た感動の涙ではない。
いつまでも彼に対する欲求や怒り、悲しみが混在していて、でもそれが結局自分に対するものだということに気付かされるからだ。
2年間持ち続けている、早くここから抜け出したいという気持ちを、彼と別れても変わらずにあり続ける変化のなさにも、虚しさが募る。
私はいま鬱なんだと思った。
そう、今日だって12時に起きて、それからまた15時まで寝て、ぎりぎりにならないと準備ができなかった。今日はそもそも鬱だったのだね。やっとわかったよ、バレエ見ながら、と思った。いつも自分の状態を把握するのが難しい。そしてそれは、昨日演劇を見て父のことをたくさん考えたからかもしれない。こうゆうどうしようもなさを常々感じ続けていた、切り替えもできずに家に帰り、彼がいた。私は短絡的に彼に私を救ってもらおうと思いすぎていた。

最近は平気な日が多かったのに、なぜ今日に限ってこんなに落ち込んでしまっているのだろうと思ったけど、このバレエの公演は、"5月末の退去が終わり、彼ともう連絡を取り合う本当に最後の日"が終わったら、ご褒美に観に来ようと思って予約したものだった。
だから6/1にした。私はそうゆう区切りを作って今までの人生も、いろんなことと距離を置いたり手放したりして過ごしてきた。
そうしないと、手放したり離れたりするのが難しい。いつまでもいいところを見つけて、少しでも繋がっていられてしまうからだ。
自分の辛い気持ちや嫌なことに対して、こうすれば相手との関係や距離感が良くなるかもしれないと自分を変えようと試みて、難しい。自分が悪いと思う、の繰り返しだった。
ゆうじんならそこで区切りをつけて離れてきた。
でも彼のことが好きだから離れられない中で、自分自身と向き合うことよりも先に、彼の細部に目が行くようになった。
彼は辛かったと思う。
だけどそうゆう時必要なのは、まず自分で自分の機嫌をとり、気持ちの平穏を守ることだった。それは自分を大切にすることにも繋がる。
人に伝えるのはそのあとだ。私の場合。
そうでないと、辛く当たってしまう。

結局、彼とは清算などでまだ連絡を取る必要があるので、まだ連絡しなくてはいけない。
区切りも何もない今日になってしまったが、一旦の区切りということを身体がきちんと感じようとしているのかもしれないとも思った。これからだね。
今月は自分のためにやることがある。
私の生活からは彼の存在が薄れていく。

カーテンコールは3回も続いた。でもこれは映画でいうエンドロールなんだなと思った。そしたらこの続く拍手はスタッフの人に向けての拍手でもあるのかもしれないと思った。それなら逆になんで映画館では拍手しないのだろうとも思う。

お腹が空いていたので、帰りに近くのハンバーガーショップに入った。最初の一口から味がしょっぱくて気持ちが進まず、あんまり美味しくなかった。だけれど、お腹が満たされると少しは心の余裕が生まれるような気もした。

6/1の気持ちを保つための目標を3つ
・焦らない
・明るくあいさつ
・ネガティヴなことを考えたらメモしてポジティブに
・早寝早起きの習慣づけ

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