伏線コント(22.10.31)

・HJ小説大賞中期の締切が今日らしい。ファンタジアで落ちた原稿、あらすじを800字に書き直して提出してみようかな。

・あらすじを800字に書き直して提出してみようかな。

・だ、ダルすぎる……帰って飲酒してMPを回復した夜の部の私に判断を託すしかない。
 けど、結局こういうボーダーラインで応募できるかどうかというのがチャンスの量に繋がり、その差がやがて実を結ぶことがある……かもしれない。やるか……。
 こういう時、多分だけど私はちゃんとやります。そういう長所があります。

・昨日書いた『一度死んでみた』と『ジャッジ!』の脚本が同じ人だということを帰宅してから知った。両方とも鮮やかな伏線回収がキマる瞬間が気持ち良く、根底にある倫理観が私としてはかなり好ましかった。
 ジャッジ! は配信していた期間は何度も何度もAmazonプライムで見返していたし、パワポ資料を作って友達にプレゼンしたこともある。あらすじ等は配信ページにあるだろうから割愛するが、冴えない主人公が段々「広告への偏愛を持つ男」どころか「広告しか愛せない男」の印象を強くしていくさまが面白く、また、そんな彼に段々絆されていくツンデレヒロインのバランスが素晴らしかった。最終的に至る結論は人間讃歌というか、創作物全般に繋がる「愛している故に創る」「最初はみんなそうだったはずだ」というような、純粋すぎて恥ずかしくなってしまうような真っ正直なメッセージで、そこへ至る過程の気持ち良さも含めて普通に泣いてしまったものである。
 一度死んでみた、はまだ二回しか見ていないが、ここぞ! という時の画面がバシッと、視聴者のあってほしい形で綺麗にキマるのが何より気持ち良い。ラストにお父さんが×××で×××から××××シーンは昨日の鑑賞会でも一番の歓声が上がった。

・こういう、ギャグに見せかけた伏線が終盤で一気に回収されるような話を私も書いてみたい。小説で「そうと気付かせず仕込む」のは正直かなり至難の業だ。映画の脚本だってきっと同じだと思う。ジャッジ!、一度死んでみたの場合は両方共にコメディな雰囲気が「どうでもいいギャグを挟まれても当然な空気」をいとも自然に醸し出していて、「伏線に用いられる無駄と思われる情報を仕込むためのギャグ」をうまく混ぜ込んでいるなと思った。
 これをどうやったら小説でできる……!? 伏線を1コントというか4コマ漫画一個くらいのやり取りに変換して、会話の中に挟む……? できるのか、そんなことが……。
 でもやりたい! きちんとプロットを組んで高頻度でギャグを仕込みその中に本物の伏線を隠し……ああ……気が遠くなりそう……。
 そういえば、いつかのM1でのスーパーマラドーナのエレベーターネタがすごく好きだったのを思い出した。思えば同じ気持ち良さだったかもしれない。

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