2024年の誕生日を迎えて
2024年の誕生日
人は生きていれば歳をとる。
歳をとれば何かとガタが来る。
そんなことを気にしていなかったら、自分の周りの時間だけが過ぎていく。
内面と外側の間にある身体の見た目は、その間の摩擦でヨレヨレになってきているのか?
まあ、仕方ないことだ。
この誕生日の付近では今まで経験したことがないことが起こっている。
僕の生き方の基礎となっている高石ともやさんが亡くなったと報道があった。
真似したというわけではないけれど、生き方、考え方にものすごく影響を受けている。
どこが、というのは早いうちに言語化しておきたい。
ニュースになっていた断片情報だと何もわかってもらえないと思うから。
こんなの亡くなってからでは意味があまりないのだけれど、
持っていないCDを調べて買った。
ミュージシャンがよくいうことに、
「生きているうちに聴きに来て!」
というのがある。
生のその時の演奏や歌、場の雰囲気は、その場で経験するしかない。
どれだけ録音や動画、文字で記録されていても、その場で経験することに勝ることはないから。
上手な演奏、整った演奏は録音技術、記録技術で、あとの時代でも再生できるかもしれないけれど、記録しきれないものがある。
その人からの言葉は、その時にしか出てこないもの。
録音してあれば聞き直すことはできるけれど、今起こっていることについての考えを聞くことはできない。人を亡くして空白を感じるのはそういう場面。
具体的なことじゃなくても、目の前のことに自分と一緒に考えていてくれるというのが励みになる。
下世話な話になるが、演奏を聞く対価としての入場料は、生きている間に届けたい。
死後評価されて嬉しくないわけではないが、できれば生きているうちに自分の手元に届けてもらいたい。
それだけでも本来は十分だし、うまくいけばさらに新しいものをお客さんに届けることも出来るので、出来ることならライブには来て欲しいし、CDなども買って欲しいという、ミュージシャン側の気持ちもわかる。
(人間誰もが、自分以外の人に良い評価をしてもらおうとプレゼンするというのが生きているということかもしれない。受け手に媚を売ってはいけないが、相手が喜ぶものを提供するのが人生とも言える)
というわけで、今年の自分への誕生日プレゼントとしてCDアルバムを買った。
高石ともやさんの「自分をほめてやろう」「あわてなさんな」。
初めて聞く曲だけれど懐かしい。
高石ともやさんは、100歳を超えても「フォークソングが好きで」とギターを抱えて歌っているものとなんとなく信じていたのだけれど、それも叶わないことになった。
でもそのおかげで、自分の原点を思い出すきっかけになった。
もっともっと思い出して、自分のことを突き詰めて考えたい。
台風10号も動きがかなり特殊で、出かける計画を立てるのが難しいので、それも良かったということにしておこう。