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うつ病の特効薬が開発された世界で

現在、僕はうつ状態の最中にあり、毎日くるしいくるしいと言いながらギリギリ人生を継続させている、

医者からセルトラリンという薬をもらって飲んでいるが、毎日しっかり飲んでいるにも関わらず、自分のつらさは一向に改善されない。

メンタルの苦しみがある閾値を超えると、時にセルトラリンに対して怒りが湧いてしまうことがある。

お前、「私は薬です」みたいな感じで堂々と処方されときながら、全然役に立たないじゃねぇか、何がSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害剤だ)バカヤロー!という気持ちになってしまうのである。

セルトラリンに対する怒りを爆発させながら、世の中にはもっとマシな、自分のつらさを解消してくれる薬があるんじゃないかと夢想する。といっても自分はもう15年くらい精神病をやっており、今まで何十種という薬を飲んできたが、どの薬も問題を完全に解決はしてくれなかったわけで、そんな薬は現実には存在しないのであろうということも頭ではわかっている。

しかし、人類の科学は進歩しているはずだ。

1928年に世界初の抗生物質であるペニシリンが開発され、不治の病と見なされていた多くの病気が根絶されたように、精神疾患にも特効薬が生まれ、多くの困難が一気に解決する可能性は十分に存在するだろう。

きっとそうなるはずだ、精神病の特効薬早く来てくれ!とこの10年くらいずっと思っていたわけだが、ある日、ふとした拍子に気づいてしまったことがある。

「精神疾患の特効薬が開発されたら、世の中は相当ヤバいことになるんじゃないか」

このnoteでは、精神疾患の特効薬が生じた場合社会はどのように変化するか、その思考実験について書いていこうと思う。

問いをシンプルにするために、ここでは「うつ病」の特効薬が開発されたと想定する。双極性障害や統合失調症や認知症やパーソナリティ障害など、他の精神疾患とその関連分野についてはあえて考慮しない。

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20XX年、○△製薬によってうつ病の特効薬が開発された。この薬は画期的なもので、なんとひとつぶ飲むだけでうつ病が完全に治ってしまうのだ。

この薬を飲むと、うつ病の特徴的な症状である抑うつ感をはじめ、食欲減退や不眠や易疲労感や自殺念慮など、うつ病を構成するあらゆる症状が一気に改善される。副作用は主に便秘があるが、基本的にどれも軽微である。

この画期的なニュースに、世界中の人間が飛びついた。

精神病院で何十年も入院している長期入院患者は次々と病床を後にし、うつ病が主因となって長期のひきこもり状態にあった人は自室のドアを開けた。自殺未遂を繰り返していたひとは自分を傷つけなくなり、うつ病で休職していたビジネスパーソンは職場に戻った。

あらゆるうつ病患者が抑うつ感から抜け出し、喜びを取り戻し、ニコニコと、元気に笑えるようになった。病苦の枷から解放され、その人が本当に生きたかった人生を再び歩めるようになった。世界中の患者が歓喜した(喜びの減退はうつ病の診断基準の主要なひとつである)。

ほとんどすべての病院からうつ病の患者が消えた後も、うつ病の特効薬は生産され続けた。新たに生じる患者に対応するためである。ポスト特効薬時代のうつ病治療は、治療ではなく、潜在的患者の発見に力が入れられるようになった。つまり、うつ病の徴候を機敏に察知し、すぐさま特効薬による治療を行うことに力点が置かれたのである。

これに効力を発揮したのが、2015年に義務化された、企業によるストレスチェック制度だった。産業医により質問シートが配られ、高いストレスを感じている従業員を探し出す。

特効薬が発見される以前は

「うつ病だとわかったところでどうしようもない」

「うつ病がバレたら出世コースを外れる」

という懸念から、多くのビジネスパーソンはストレスチェックに消極的だった。しかしうつ病が治る病気になった今、ほとんどのひとがストレスチェックテストに積極的に回答するようになった。仮にうつ病だったとしても、薬を飲めばすぐに治るのである。健康診断における採血や心電図のように、ストレスチェックも個々の従業員の利益につながるものとして肯定的に受け入れられはじめた。

案の定、潜在的患者は数多く発見された。うつ病に罹患しているものの、知識に乏しかったが故に病識を持てなかった人たち、精神科への偏見から治療へ結びつかなかった人たち、そういう人が大量に発見された。彼らの多くはうつ病特効薬により治療され、抑うつ感がなくなり、より楽しんで人生を送れるようになった。

この結果を受けて、学校教育の現場にもストレスチェックが導入された。

児童は社会人よりも一般的に病識が乏しく、潜在的うつ病患者数は社会人のそれより圧倒的に数が多かった。

各学校の保健室に児童精神科医が常駐するようになり、毎年の健康診断でストレスチェックが導入され、学校教育の場からもうつ病は根絶された。

会社や学校などの拠点を持たない、地域の専業主婦や高齢者にも、ストレスチェックは積極的に実施されるようになった。

地域の精神保健福祉センターが主導的な役割を果たし、啓蒙を目的としたTVコマーシャルや官報チラシが街にばら撒かれ、地域に住む多くの住人もストレスチェックテストを受け、うつ病であった場合は即座に特効薬により治療されるようになった。

社会から、うつ病が消えた。

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社会からうつ病が消えると、社会もまた変化した。

最初に影響を受けたのは娯楽産業である。孤独や抑うつ感を軽減させるために消費されていた娯楽品ーーーアルコールやSNSやソーシャルゲームなどーーーの市場が急激に落ち込み始めたのだ。性風俗産業は閑古鳥が鳴き、そもそもキャストを確保することすら難しくなっていった。

変わって勃興したのは、仲間と共に楽しめるアクティビティを提供する市場だった。カラオケや、フットサルスタジオや、バーベキュー会場が急激なペースで建造されていった。ラウンドワンやオリエンタルランドのようなアミューズメント企業の株価は連続でストップ高となり、アミューズメント・バブルと呼ばれる経済成長を牽引した。

外食産業にも変化があった。牛丼チェーンのような孤食系フードサービスは急激に業績を落とし、変わってファミリー向けの飲食店が勃興した。ファミリー向け、パーティー向け以外の飲食店は軒並み鳴りを潜め、いままで一等地を独占していた牛丼チェーンや立ち食いそばやうどんチェーンはほとんど街角で見ることができなくなった。


産業構造に次いで変わったのは、司法だった。

犯罪は、基本的に被害者の損失が大きければ大きいほど罪が重くなる。

精神的苦痛を理由とする訴訟では、被害者の損失をほとんど見積もらなくなっていった。うつ病になっても、薬をひとつぶ飲めば回復するのである。それは耐え難い苦痛とは言い難い、というのが司法のロジックだった。

強姦罪(強制性行罪)の量刑は、目を見張るほど軽くなった。強姦における被害者の損失はその多くが心理的苦痛であり、心理的苦痛はあまり重要なものだとは見なされなくなっていったからだ。強姦罪の量刑は窃盗罪と同程度になり、社会問題として認識されることすら稀になっていった。

心理的虐待、各種ハラスメント、名誉棄損など、特効薬が生まれる前に重要な社会問題だとみなされていた多くの物事が、あまり重要なものだとは考えられなくなった。肉体の損壊を伴わない犯罪については非罰則化するべきだという主張すら現れた。心理的苦痛など薬をひとつぶ飲めば回復するのだから、それほど大きな問題ではない。そのように多くの人が考えるようになった。


娯楽、司法、と続いて、最後に変わったのが労働市場だった。

パワハラやセクハラが非犯罪化されたこともさることながら、最も大きく変わったのは労働時間だった。

いまや労働者は、どれだけ働かせても心を病まないのだ。「過労死ライン」という言葉は光の速さで死語になった。企業は利益を上げるために、労働時間をそれまでの倍以上に増やした。その代わりに給与はどっさり与え、社員旅行やパーティーなどのアクティビティを積極的に催した。多くの労働者は、より大きなビジネスに参加し、より多くのパーティーに参加するこそ、より良い生き方だと考えはじめた。大企業のオフィスには必ずパーティーフロアが設置され、継続的にパーティーを行うための専門職が雇用されるようになっていった。


うつ病の特効薬は、多くのひとを幸せにした。

抑うつ感、喜びの喪失、食欲の減退、不眠、易疲労感、無価値観、自殺念慮…

そういった症状に悩まされるひとは、もうほとんど存在しなかった。

特効薬が生まれたことで最も喜んだのは、当然ながら、うつ病で長年苦しんでいた当事者たちだった。

彼らはうつ病がどれほど苦しい病かを知り尽くしており、そこから解放されたことを心の底から喜んだのだ。「第二の人生」「解放」「生まれ変わり」そんな言葉を用いて、彼らはうつ病特効薬の功績を称えた。「幸福という感情が今までわからなかったけれど、特効薬のおかげでようやくそれを知ることができた」「しかもそれは、今や毎日当たり前のようにそこにある」。

特効薬をキリストや弥勒菩薩の再臨として崇める宗派が次々と誕生した。

真っ暗な地獄を眩いばかりの光で照らしてくれた存在、それがうつ病特効薬だった。

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都内の精神科病院の入院棟で、ひとりの男がぼんやりとパズルを組み立てていた。

彼は精神科デイケアに残った、最後の患者だ。

内臓系の基礎疾患の治療薬がうつ病特効薬と拮抗してしまったために、彼は重度のうつ病を患っているにも関わらず、特効薬の治療を受けることができなかったのだ。デイケアの仲間がひとりひとりと消えていく中で、最後に残ったのが彼だった。

笑顔の女性看護師が彼に話しかけた。彼女もかつてはうつ病に苦しんでいたのだが、特効薬のおかげで今は常に機嫌がいい。

「Aさん、お加減はどうですか?」笑顔の看護師が訪ねた。

「パズルは解けましたよ。これ、1年前にもやったやつですね」

「あぁ、すいません、気づきませんでした。もうこの病院の精神科看護師は、私だけなので…」

Aは頷くと、静かにパズルを箱に戻した。午後のプログラムはラジオ体操と室内ゲームだ。目の前の笑顔の看護師とふたりで、それらをやることになるだろう。

Aからパズルの箱を受け取った看護師は、笑顔でそれを棚に戻し、Aに飲ませる薬を取りにナースステーションへ向かった。最後の精神科看護師として働けている今を、心の底から楽しんでいるようだった。無論Aが家に帰ったあとは、身体科の患者の対応をすることになる。この時代の看護師は1日16時間は働くのが普通だからだ。

看護師の後ろ姿を見ながらAは思った。

この世から心の闇が一掃された世界で、自分だけが未だ闇を心に宿している。

もし自分が死んだら、世界は幸福なひとたちだけで満たされるのだろうか。

そうではないことをAは知っていた。人間が存在する限り、必ず差異は生まれ、劣位者はそれを苦痛と感じる。

抑うつ感や希死念慮ではない他の何かが、再び精神疾患として扱われるだろう。

うつ病患者特有の暗い現実主義から、Aは予測した。

ラジオ体操に使うステレオを抱えて、看護師が帰ってきた。

Aがここでうつ病患者としてもがき苦しんでいる限り、あの看護師はきっと幸せだろう。

その幸せが少しでも長く続くことを、Aは祈った。

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