ロールモデルの不在と女性研究者の人生

女性研究者が少ないことは、一部の特定の分野を除き、どの研究業界でもみられる傾向であるといって確かだ。ジェンダーバランスの均衡をとることをめざしたイベントや女性限定の研究ポストの設置は、さまざまな研究分野で行われている。

女性研究者はなぜ少ないのか。かねてから指摘されてきたことではあるが、やはり、女性の人生設計がいくらか複雑であるのに、女性研究者のロールモデルがいないことが大きいのではないか。

もしそれが正しいとすれば、その状況が変わらないと、女子学生を短期的にエンカレッジしたところで女性研究者は増えない可能性も考えられるし、前は盲目的に(?)女性研究者増えるべき!と思ってたけど、最近、本当にそうなのか?という気もしてきたので、ここでごにょごにょしてみたい。

また、ここでは、身体的な生殖機能として女性に分類される人を主題に、女性研究者について書いています。この点ご了承ください。

ロールモデルがいない

まったく違う分野の研究室にもいくつか出入りはしているで、他の分野の状況も知らなくはないが、実際よく知っていると言えば自分の分野(おそらく、さまざまな学問分野全体の平均よりも女性が少ない)についてだけになるので、とりあえずそこから考える。

うちの分野は、本当に女性研究者が少ない。研究者としての収入だけで生活している女性なんてもっと少ないし、大学で定職を得ている女性とまで言うと、5年に一人とかなのではないか。近接分野まで視野を広げても、本当に女性は少ない。

そこまで少なくなると、研究者としての女性のキャリアパスの全体的な傾向だの多様性だのなんて見方はなんの意味もなさず、ただただ特例的な個人の事例があるだけである(そして生存バイアスがかかっている)。そして、たいていの場合、女性の少ない世界を生き抜いているようなすごい人なので、特別優秀だったとか、運が良かったとか、あるいはなにか個別的な事情など、参考にしようがない要素がキャリアパスに大きく影響している。

となると、先行する女性研究者の身の振り方は参考にならないのだ。そういうわけで、少数でも女性研究者がいようが、ロールモデルにできるような人はいないということになってしまう。

ロールモデルの不在と女の人生

いや、ロールモデルなんていなくても、自分の人生なんだから自分で切り開いていけるっしょ!!とも思うが、一方ではやはりロールモデルの不在は深刻な問題だと思わずにいられない。

女性の人生設計は複雑な傾向にあるからである。

結婚して、子どもをもつ、という人生設計を思い浮かべる人は多い。もちろん、そのような人生設計を持たない人もいるが、それでも、結婚や子どもをもつといった人生の選択肢をすこしは考えているという人のほうが多いだろう。

妊娠・出産を組み込むとなると、女性研究者の人生設計は複雑になる。

妊娠期間の10ヵ月は身体的にいろいろと不自由になるし、子どもが生まれたらしばらくはまともに研究できないだろう。
さらに、妊娠開始から出産後数か月はホルモンバランスが崩れ、集中力や認知能力の低下が起こる。これだけ考えても少なくとも一年半程度は研究が本調子にはならない。
出産後のポストによっては、子どもを保育園に預けられず、子どもの世話をしながら研究をすることになるかもしれない(私も人の子を預かりながら研究することがあるが、明らかに無理と分かる)。

さて、それでは、いつ子どもを産めばいいのだろうか?

博士号取得を考える場合、20代の大半を学生として過ごすことになる。ストレートで博士号をとっても27歳だ。
一般に、高齢になるほど妊娠は難しくなる上、出産時の母体や子どもの疾患に関わるリスクは増す。30代のうちには産みたいと考えるのが自然だろう。しかし、30代は研究者として忙しい。非常勤ポストや任期付きポストをこなしながら業績を増やし、専任ポストを狙っていくことになる。

い、いつ産めば......?さらに言えば、妊娠なんて予測してコントロールできるものではないし、二人目を考えたりなんかしたら.......(眩暈が...)

あるいは、妊娠・出産を考えなかったとしても困難がないというわけではない。以前、記事としても書いたが、毎月のPMSや月経、排卵日症状は身体的な不調と共に認知機能に影響を与える。知り合いの女子大学院生の話を聞いても、月の半分近くをそうした症状と共に過ごすという人は少なくないようだ。
加齢とともにホルモンバランスが変化し、症状が悪化していくこともあるので、学生段階で困難がなかったとしても20代後半になって研究が難しいほどの症状が出ることもある。私自身、大学院生になってから症状が出るようになった。
そして40代半ばから10年程度は更年期によるイライラ、焦燥感、集中力の低下などの症状が現れる。なかには、30代後半から「プレ更年期」と呼ばれる更年期症状が出る人もいる。

研究をしていると、毎日長時間の座り作業で運動不足に見舞われやすいため、上記の症状の悪化を引き起こす。そんな中で、高い認知能力や集中力を必要とする研究を進めていくのは、とても大変だ。女性特有の各症状とこうした研究という仕事の特性は相性が悪い。

このように、研究を進める上での女性特有の困難は容易に予期されるし、実際に研究生活の中で直面せざるを得ないのである。
いまは、若い女だけど、将来の体調の変化やライフイベントを考えたとき、女性研究者としてどのようにキャリアを積んでいけばいいのだろう。

こんなときに参考にしたいのが、先輩女性研究者である。先輩研究者はこうした困難にいかにして向き合い、乗り越えてきたのか。
ここでぶち当たるのがロールモデルの不在という問題だ。先輩を参考にしたい、だけど、ロールモデルになるような人、いないんだった。困ってしまうのである。

前例のないことをやるのは、前例があることに比べて格段に難しい。女性研究者としての人生設計なんてもともと難しいのに、参考にする前例もほとんどないのである。(分野によってはたくさんいたりするのかな)

これが女性研究者が少ない理由の一つだと私は思っている。

女子学生をエンカレッジすべきか?

妊娠・出産にかかわる難しさが現れるのはたんにキャリアパスに関してだけではない。

研究の世界にいると、しばしば、「博士課程を修了した時点で数百万(中には一千万以上)もの奨学金返済が残っている」という話を聞く。
いや、そもそもこんなに奨学金借りないといけないこの国の高等教育制度をどうにかしたいんだが、たとえば30歳前後で子どもを産みたいと考えている学部や修士の女子学生からしたら、絶対研究者にはなりたくないと思わせるインパクトがあるのでないか。子どもを産むなら、一旦仕事から離れなくてはならないのに、そんなに奨学金を背負えるのか?

私は比較的楽観的な(先のことを考えられない?)性格なので、そんな話を聞いても「なるようになるさ~」と思ってしまうが、そういう人ばかりではないだろう。

学部四年時に周りで就活していた女子たちを思い返せば、産休・育休の手厚さ、出産後も働きやすい環境か、などを気にして就職先を選んでいた。
これは私の個人的な経験に限って述べるので、一般化できるかはわからないが、女子学生は妊娠・出産のタイムリミットや身体的制限があるだけに、男子学生よりもそうした点を重視して就活していたような印象がある。そうやって、”賢明な”女子たちは、安定した保障のもとでキャリアを積み重ねていけるように、会社に守られたキャリアを選ぶ。

私が悩むのは、そうした進路とのはざまで悩む女子学生を研究へエンカレッジしていいのか、ということである。
事実として現状での女性研究者のキャリア形成は著しく難しく、リスクのあることなのに、女子大学院生として年下の女子学生の前に出て行って、「女でもふつうに研究やってます~~研究やろう~~」なんてやってしまったら、それこそ女子大学院生として、彼女たちのロールモデルになりかねない。
だけど、それってゆくゆくは、彼女たちを(必要以上に)苦しい道に引きずり込む手伝いをしてしまうのではないか。本当に彼女たちは研究をするべきか?

研究はそもそも難しいものだし、競争の世界なのだから、無理な人は無理、やらなくてよい、とももしかしたら言えるのかもしれないが、一方で、いろいろな人が参与することで研究の成果に多様性が生まれ、人間の知識が拡大していくのは確実だ。それが研究に内在的でない事情で阻害されてしまうのだったら、その事情を取り除いた方がいいのではないかと今のところは考えている。

この状況に際して私が考えるのは次の二つである。

一つは、とにかく、短期的だったり、単発的だったり、局所的だったりするエンカレッジメントよりも、理想論ではあるが、やはり(女性研究者向けだけでなく、全体として)研究業界全体での制度的な改善が望まれるし、なんかそれに貢献していきたい気がするということである。

もう一つは、果たして、今の研究業界に適応していくことが、女性研究者の行くべき道なのだろうかという疑問である。あるいこれは上記の改善の方向性についての提案である。
現状では、研究業界は男性が多数であるから、結果として男性ができる範囲の中での仕組みになっていることが多い(いや、男性にとっても困難は多いが)。しかし、身体的に与えられているものが違う以上、それが必ずしも女性にも可能な仕組みであるとは限らない。
このような状況の中で、従来のシステムに合わせてうまくやっていくことが、果たして女性研究者としての活躍(女性活躍って言葉あまり好きじゃないですが)なのだろうか。

この前、美容室で渡された雑誌に生命誌研究者の中村桂子さんのインタビューが載っていて、研究をする上で「ふつうの女の子」であることを大事にしていると述べていた。私はあまり知らなかったのだが、この「ふつうの女の子」というのは中村さんのキーワードらしく、これをテーマにした本も出されているらしい。
本を読んでいないので、この言葉が意図する正確なところは私にはわからないが、一方で、既存の研究システムの文脈に飲み込まれそうになりながら抵抗している自分自身を思うと、「ふつうの女の子」であることを大事にしたいという点には(すくなくとも表面的には)共感できる。

まあとにかく、とんでもなくめちゃめちゃ優秀とか、「清水の舞台から飛び降りる」決心をしたとか、とんでもなく楽観的(私です)とかでないような女性研究者も参入してきたときに、真に理想的なジェンダー均衡が生じるんじゃないか(これは適当に言ってます)と思うし、全体的な制度が改善されたら、性別にかかわらず良い状況であると言えるんじゃないかな~、そうなってくれ~、文科省~~(?)政府~~~~!!(?)

(あとこれは余談ですが、研究関係の要望(研究費、待遇等)を政策にのせていくために、教授クラスの先生方のロビー活動的なものがもっとうまければいいのになと思う。実際、研究費いっぱい持ってる研究室や研究所って、産学連携しやすいとかもあるのかもしれないけど、実際そこまで産業に直結しない研究してるとこもあるし、むしろ先生方のロビー活動がうまいというのが大きいと見受ける。研究室とか研究所単位じゃなくて、業界全体としてそういうロビー活動とかアピールを研究者の待遇関連でもやってくの必要だよな〜とか、上の世代がやらんならこっちでやらんとな〜とか思う。)

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