見られること
先日、テレビに少し取材していただく機会がありました。
活版とデザインの工房と謳っていますが、物珍しいのは活版なので取材など、だいたいが活版を取り上げていただくことが多くて、活版担当は夫であり、今回の取材も夫がメインなのでしょうと引き受けましたら、割と私を取り上げてくださっていてとても驚きました。
雑誌などは、校正と言って印刷前に確認をさせていただけるので、こうやって編集されたのね、と見られる心づもりができますが、テレビは放映されるまでどうなっているのかがわからず、放映してもらったものはとてもよくまとめていただいたのになんだかショックみたいなものを受けてしまいました。
(内容がショックだったわけではないのです)
まず、自分の動く様を見るのが辛かったです。写真も少し苦手なので、動く自分を見ることはより複雑な気持ちでした。
あとは、多くの知らない人に自分自身が見られるということになんとも言えないストレス(良くも悪くも)を感じて、焦ったり気恥ずかしかったり変な気持ちになったりと、なんとも言えずメンタルが弱ったのでした。
デザインの仕事をしているので、自分で作ったものをたくさんの方に見てもらうのは全く平気なのですが、自身は見られるという対象ではないからこんなに変な気持ちになったのかも。
ものを考えたり作ったりするときは、受取る人にどう見られるのか、見られたいか、感じてもらえるのかなど、色々な受取手への作用の仕方を意識しています。
もちろん普段も自身がどう見られたいのか、ということも多少意識はしていますが、編集されることで自分の意識からは離れた形になりこうやって不特定多数の人に自分が見られるということで、不安のようなものが放映から数日はあり多分モヤモヤしていました。
見てくださった方はがとても優しくあったかい感想を伝えてくださったことと、時間が経つとテレビの自分は編集してもらった別のなにかに思えてきて、3日後くらいには平気になり、なんなら見て欲しい、くらいのところにメンタルは到達しました。(2日ほどは恥ずかしくてうなだれていました)
仕事だけでなく自分自身も、見られることや誰かの意見を聞くことによってら完結したり広がりができるんだな、と改めて人の話を聞けるようななろうと思うのでした。
担当ディレクターの方が本当に真摯な方だったのが嬉しかったです。
なんだか経験値がすこし上がったような気持ちです。でも、やっぱり気疲れしました。
仕事で作ったものを見てもらうのが私にはあっているようです。
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