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定期カウンセリングで気づいた「ゆるい光」のよさ

11月から、cotreeさんのオンラインカウンセリングサービスを利用させてもらっています。今回は、初回と同じカウンセラーさんとお話した2回目の感想です。カウンセリングを受けようかどうか迷っている方のご参考になればいいなと思っています。

ちょうどいい距離感で話せた初回

初回は「今後の仕事選択」について、抱えていた迷いを聴いていただきました。そのとき私はWEBライティングで収入を得ていたのですが、また組織に所属して同僚と切磋琢磨したいという気持ちもあったからです。

ただどのような分野で自分が貢献できるかを自分でもとらえきれていなかったのと、これまでの仕事経験を通じて、働きやすい組織風土や職場の心理的安全性について考えがアップデートされたこともあり、どこにでも気軽に飛び込めるという気持ちではありませんでした。

このときのカウンセリング感想noteでこんなことを書いています。

もう充分人に話したと思っていたことでも、やはり「外に出すべき言葉」というものがおそらくあって、そこにぴたりとはまる問いかけをもらえたのでしょう。

どのような仕事をしたいのか(what)、どのように仕事をしたいのか(how)、どのような人と仕事をしたいのか(who)。こういった要素に切り分けて考えることは1人でもできますが、そのベースにある自分の傷や希望を照らすことはしきれていなかったのだと思います。

初めてお話するカウンセラーさんとの距離感は近すぎず遠すぎず、ほどよく感じました。静かに問いかけていただくうちに、傷や希望を少しずつ認められたようです。

今回の話題

2回目の今回は、最近気づいた自分の性質についてお話しました。長くなってしまうので詳しくは控えますが、ざっくりいうと「ほしいと思ったらなんでも手に入らないと気が済まない」性質についてです。

ものすごく高価なもの、たとえば高級ブランド品を買うわけではないですが、「ほしい」と思ったらあまり間をあけずに買ってしまう。読みたい本も買ってしまう。そのことに罪悪感を抱いているとお話しました。

もしかしたら仕事選びにも似たような面があって、what、how、who、そして収入などのほしいと思った多くの要素を、すぐに満たそうとしてしまっているのではないか。そう仮説を立てていました。ひょっとしたら、人間関係の構築にも同じようなことがいえるかもしれません。

記憶に残ったこと

今回のカウンセリングで記憶に残ったのは、「ほしいと思うのは別にいいのではないですか?」「我慢と取捨選択、どちらをしたいのでしょうか」というカウンセラーさんの言葉です。

先の仮説についてお話していくうち、「我慢しなければならない」「自分を律せられるのが大人だ」という考えをもっていることに気づきました。我慢できるのは美徳で、しかも役に立つ(たとえば買い物のしすぎで破綻しないようにストッパーの役目を果たす)という考えともいえます。

しかし私にとっては我慢をすることが目的なのではなくて、「長期的に少しずつレベルアップすること」が目的なのだということも見えてきました。そのために望ましい態度として「物事の取捨選択」があるようです。

ものや仕事を得たり人と関係を築いたりするのに、我慢は必ずしも必要ではない。手っ取り早い手段をとるかとらないかという意味では我慢が生じるのかもしれないけれど、それが目的ではない。今すぐに手に入れることだけが喜びではなく、長期的な目線で希望を叶えていく姿こそが喜びで、それこそが本当に私が求めているものなのではないか。

幼少期の自分も少し振り返りつつ、我慢と理想について自分がどのように考えていたかを深堀りできた時間でした。


カウンセリングへの印象

今回のカウンセリングでは、カウンセラーさんの柔らかくポジティブな言葉が私のこわばりをほぐしてくれたように思います。こわばりというのは自分に対する厳しさのことで、知らず知らずのうちに固まっていた自己評価のようなものです。

「あおやぎさんは、多面的な自分を理解されているんですね」「健康が一番大切だということをわかって選択できたんですね」。そんな表現で、これまでの仕事選択についてもポジティブな面に光をあててくださいました。ああ、自分は取捨選択すべきところをきちんと判断して動けているんだな…とほっとしたのが印象的です。「すでに大丈夫なんだな」と思えました。

前回、今回とお話をしてみて、「ゆるく光をあてる」ということが大切かもしれないと感じています。ここに答えがあるにちがいない、と強烈なスポットライトをあてるのではなく、夜の海を灯台の光が照らすような。

「灯台」でYouTube検索してみたら、穏やかな気持ちになるタイムラプスがありました。自分のイメージにも近かったです。


自分ができないことに光をあてるのは、すごく楽です。原体験やトラウマに光をあてるのも、ある意味楽です。「そこに意味があるはず」と信じやすいから。でも、できたことにゆるく光をあてて、そのとき自分は何を感じていたのか、何を選んでいたのか振り返ってみる時間も、前へ進むヒントにつながると感じました。

とりとめのない話でもじっくり聴いてもらえるカウンセリングは、ピンチのときだけでなく、何気ない日常にも必要だと思います。解消したい問題があってもなくても、知らず知らずのうちに固まってしまっている自己評価や、考え方の偏りがあるかもしれないからです。

ちょっとひっかかっている…くらいのことのほうが、もしかしたら「ゆるい光」もあてやすいかもしれません。息をするように、お茶を飲むように、あるいはほかのことでも自分がいつもすることのように、カウンセリングを身近なものとして受けていきたいと感じました。

今回のカウンセリングで気づけたことを今後の生活にいかしていくこと、そして次回のカウンセリングも楽しみにしています。


今回も含め、この定期カウンセリング感想はこちらの「#わたしのcotree習慣」企画に寄せるものです。


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読んでくださってありがとうございます!