見出し画像

東北諸藩による幕末の蝦夷地警備

 幕末の蝦夷地において、北方警備のため東北諸藩により置かれた陣屋は20を超えた。
 各地の陣屋で一体何が行われていたのか・・・

 こんなイベントに参加してきた。
 いや、何週間も前から楽しみにしていた。
 だって、函館市、北斗市、室蘭市、紋別市、稚内市、石狩市、留萌市、広尾町、厚岸町、標津町、斜里町、増毛町、森町の各地から14名の専門家が招かれるのだ。

 貴重講演は、北海道博物館学芸部長三浦氏による「道北諸藩による幕末の蝦夷地警備」だ。

 幕末は日米和親条約により函館港が開港。黒船艦隊は函館も訪れた。

 ロシアの南下に備え、幕府は蝦夷地を幕領化した(蝦夷地分割分領政策と言う)。

分割分領図

 斜里町では、津軽藩士がロシアに対する北方警備を任されていたが、当時のアイヌの人々も南へ移動する冬の寒さで、記録には、津軽藩士103人中72人が死亡とある。

 その後、会津藩が斜里に入った。

 北斗市には松前藩戸切地陣屋跡がある。
 ここは、稜堡式築城術による星形堡塁構造を日本で初めて採用したお城で、国指定史跡となっている。
 五稜郭は知っていたが、ここは知らなかった。

 北斗市郷土資料館の時田氏による論文では、私が見たどの幕末の蝦夷地の歴史解説より秀でていた(偉そうにすみません)。

 何しろ、①戸切地陣屋ができるまで(佐久間象山の下に藤原主馬を学ばせた、松前崇広松前藩主の功績)、②地勢および砲科能力からみる戸切地陣屋の防衛構造の分析と推定、③稜堡式城郭の構造と利点、④「日本最初の星の城」原典への旅、⑤「早すぎた」洋式軍学理論のゆくえー戸切地陣屋、そして「日本の稜堡式城郭・堡塁」のその後ー、など縦横無尽にトピックスが挙げられそれが綺麗にまとまっており、美しさすら感じるのだ。

 これを目にすることができて良かった。
 これからは、私の中では函館の五稜郭も単なる「洋式城郭」ではなくなった。

 函館市には津軽藩千代台陣屋跡と南部藩水元陣屋跡があった。
 
 函館山ロープウェイの駐車場付近に陣屋跡があり、この地に南部坂があるのは、昔、南部藩が居たからだったんだと知る。

大正期の津軽藩千代台陣屋跡

 千代台陣屋跡は、大正期まで監獄所として利用されていた。

 室蘭陣屋跡からは、砲弾が出土されている。 
 函館、室蘭同様、砂原も南部藩が警備を担当していた。

 稚内市には、宗谷出張陣屋があった。

筆者が撮影した宗谷岬モニュメント

 宗谷の白い道の入口の辺りが陣屋跡。

筆者が撮影した白い道
筆者が撮影した間宮林蔵の像

 ちなみに、焼尻島にも会津藩士の墓があった。

筆者が撮影した会津藩士の墓

 道北諸藩はこんなにも各地に北方警備の痕跡を残していたんだなあ。

 陣屋跡の土塁を整地してしまう、発掘調査はまだまだこれからと言う地域もあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?