平行線の終わらないパズル

私が「ねごと」を知ったのは、小学五年生、11歳の時だった。
JAPAN COUNTDOWNという音楽番組のオープニングに使われていた、「たしかなうた」のサビに心を奪われたのだ。
その時は歌詞というよりは、音楽が良すぎて衝撃を受けた感じだった。

調べてみると、 au LISMOのCMで使われていた「カロン」は聞いたことがあった。これが小学三年生の時で、

何度夢をくぐったら君に会えるの?

のフレーズは誰もが一度は聞いたことがあると思う。
この曲もめちゃくちゃ良い。フルで聴くともっと良い。

それからも度々聴いていたが、高校一年生になって仲良くなった友達に教えてもらった「アシンメトリ」がもっとヤバかった。

考えてる頭より
感じている気持ちがいい
堂々巡りの僕らのストーリー
望むのはひとつだけ
触れ合える言葉だけ
単純すぎることなのに
どうして伝えられない

物心ついて色々なことを考えたくなりはじめた、いわば思春期の入口で出会った「アシンメトリ」。
言葉で伝えられないものを私は、「ねごとの音楽」によって感じとる。

高校二年生以降、環境の変化もあり、まわりに馴染めず孤立するようになった。
一年生の時に「アシンメトリ」を教えてくれた子のように、音楽で繋がれる友達は当然できず、言葉を使う機会も減っていった。

教室で一人で座っていると、クラスメイト同士が会話をしている。
そこで使われている言葉は、自分が対象ではないのに、背中から、おでこから、頭の先から、確実に自分の身体には触れているような気がする。
とても不思議な感覚で、「ある対象の人間に向けられるもの」が言葉の定義だとしたら、自分が今、クラスメイト同士の会話で使われていると認識しているものは言葉ではないんじゃないかと思えた。

誰にもうまく言えない
気持ちが浮いて沈む
小さな箱に揺られてるわ
METRO

すると、「歌詞」という言葉はどうだろう。
自分が対象ではないのに、耳で聴いて触れている言葉。
音楽同士の会話を、教室に一人で座っている私が聴く。
ところが、不思議な感覚はない。

私が、「音楽」という名前のクラスメイトが好きだから。

「ねごとの音楽」という名前のクラスメイトの会話は、蒼山幸子さんの言葉だ。

また、私は楽器を弾いたりとかの経験が全くない。
そうなると、音楽のことを話すとき、「このメロディラインがやばいよね」などと言うのはおこがましいため、「ここヤバいわ」などと言って最低限のニュアンスが伝わるようごまかす。相手が軽音楽部の子とかだったらなおさらだ。

そんな私でも饒舌になっても良いような気がするのが、歌詞についてだ。
数学は公式を知らないと解けないけど、現代文はなんとなく解ける。
僭越ながら、ここまで語らせてもらった。

蒼山幸子さんの歌詞が、いつも私を助けてくれていた。


そんな中、高校二年の冬に、ねごとの解散が発表された。
私自身も、高校三年になって状況はやや悪化し、結局内向的なまま進学の道を選んだ。

蒼山幸子さんはソロ活動をされており、最近は「Highlight」というアルバムをずっと聴いている。

今も状況は好転していない。
それでも、「蒼山幸子さんの音楽」と、その言葉とともにこれからも生きていければ、大丈夫なんじゃないかと思うことにしている。漠然としているけれど。

ハイライトはいつしか 鮮やかになるから
まだ今は消せない これはひみつの炎
ーハイライト









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