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ユートピア・ディストピア

 どうも!おはようございますからこんばんわ!まで

 10月放送分のテーマ「2020年、現実化したユートピア/ディストピア」の放送を聞いたうえで想うユートピア・ディストピアについての雑感をまとめてみたいと思います。

1.予言としてのユートピアと現実としてのディストピア

 放送の中で一つ印象だったのは、文学作品やエンタメ作品,歴史の系譜の中でユートピアが予言されていたんだなという印象を持ちました。例えば放送の中で出てきたドラえもんのひみつ道具の独裁スイッチは自分にとってむかつく奴を粛正していく道具ですが、独裁というキーワードに即せば気に入らない人間を消して自分にとって居心地の良い空間を作り出すという意味では非常にユートピア(理想郷)だけど、むかつく存在を消すことで初めからその人は関係者の記憶にはいない人という存在になるということで間違った優越感を覚えかねないという意味合いで、危険な独裁者が生まれてしまうというディストピアな感覚を兼ね備えていました。

 また例えば、昨今議論に挙がっているDX(デジタルトランスフォーメーション)も、一昔前はデジタル化によって人々は過度に働く必要がなくなる(現行法上労働時間の上限である1日8時間が6時間になったり等)という未来(ユートピア)が言われていたけど、実際DX化で浮いた時間が丸々休みとなるかと言われれば信ぴょう性は高くなく浮いた時間を別な労働に宛がわれる現実(ディストピア)が待ち構えているのではないかと言われています。

 放送の中では他にもいろんな話題でユートピアとディストピアが語られていましたが、共通するキーワードは未来と現実というキーワードなのかなと思いました。

2.私が思うユートピアとディストピア

 今年は著名人の自殺報道やリアリティーショーと呼ばれるリアル感を売りにした番組に出演していた人が自殺したというような報道を目にする場面が多いですね。厚生労働省の統計によると、平成30年の自殺者の総数は20840人で原因のトップが健康問題で経済・生活問題,家庭問題と順に続いているようです。

 ユートピア(理想郷)の対義語としてディストピアを捉えるならば、残念ながら自殺という選択をしてしまった人が見ていた世界はディストピアな世界なのではないのか?と私は思います。

 例えば、産後うつの行き着く先で自殺を選択してしまう人をニュース報道等で見聞きします。子供が産まれたばかりの母親にとっては私は産まれた我が子の母親として完璧でなければならないという強い意識が、本来は頼っても全然支障がない機関へ頼るという思いを抑圧してそれが知らず知らず鬱の症状を起こす引き金となることがあります。また、共働きでなんとか世帯収入を500万円とか600万円という時代に子供を授かるという場面において、旦那が育児へ非協力的ならばストレスはより一層増すことでしょう。そうすると、思い描いていた育児のユートピアから一転して苦しく辛いディストピアが眼前に広がることでしょう。産後うつなんて気合でなんとかなると宣う人も少なからずいますが、でも事実として産後うつで苦しんでいる人は少なからずいて、その人が見ている世界はディストピアに映っているのかもしれません。

 例として示した産後うつに限らず、自殺という道を選択するという事は少なからず現世の中で示されている選択肢ではどうしようもなく苦しくて、死ぬことで楽になれるというユートピアを描いているのではないか?と推察できます。あくまでも推察なので、確固たる証拠はありません。ただ、自殺という道を選ばなくても状況を改善できる方法に目を向けることができない状況下において当事者に見えている世界はディストピアな世界なのではないかと私は思います。

3.おわりに

 なんか、自分自身のユートピア・ディストピアの考察が暗くて辛気臭いものになってしまいましたが、おそらく皆さんが生きている日常においても思い描いたユートピアと現実のディストピアで苦しく感じる場面はあるかと思います。そこでどのように考えるかは、未来を生きる上でとても大切だと思いますし、放送本編の中で印象的だった過去の作品が思い描いていたユートピアは歴史の系譜の中で進化を続けてその進化の過程でなにがしかのディストピアとぶつかることを繰り返してきました。これが、人類が進化する過程で大切な要素の一つだと私は思います。

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