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東の野にかぎろひの立つ見えて

以前、狩と権力について書きました(https://note.com/wakahouse97/n/n1325398c9280)ところ、即位前なので天皇の狩の歌に入れなかった『万葉集』48番・柿本人麻呂の歌について、ご質問をいただきました。少し補足いたします。 

東の野にかぎろひ立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ

              (万葉集・巻1・48・柿本人麻呂)

この歌は、奈良県宇陀市の安騎野で軽皇子(後の文武天皇)が狩を行ったときの長歌に付せられた第3反歌です。

長歌と第一反歌に「古(いにしへ)思ひて」「古思ふ」という表現が見えます。この「いにしへ」とは、第4反歌の

  日並みし皇子の命の馬並めて御狩立たしし時は来向かふ(49番)

の「日並みし皇子の命の馬並めて御狩立たしし」に収束していきます。「日並みし皇子」は軽皇子の亡き父草壁皇子のことで、亡父が昔、馬を並べてこの場所で御狩をなさったあの時が「いにしへ」なのです。多田一臣氏は、この「思ふ」について、単なる懐旧ではなく、「イニシヘ」にはたらきかけ、それを眼前に引き寄せる呪的行為。そこに草壁皇子の姿がありありと幻視される」と説いておられます(『万葉集全解』筑摩書房)。 

亡き父が行った狩猟を、同じ場所、同じ時間(「御狩立たしし時は来向かふ」)に軽皇子が再現することの意味は大きく、多田氏は「即位は、持統天皇(草壁皇子の母、軽皇子の祖母)の悲願であり、阿騎野の遊猟は、そうした軽に立太子への道を開く呪的な意義をもって企てられたらしい」とまとめています。 

こうした全体の趣旨の中で、先の第3反歌「東の野にはかぎろひ立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ」はどう理解すればよいのでしょうか。多くの注釈者が説くように、東の空に昇る太陽の光に新たな皇子軽皇子の誕生、西の空に傾く月に亡き草壁皇子を重ねて詠んだ歌ということになります。ただ、「かぎろひ」は曙の光ですが、「モユルヒ」と訓み、野焼きと理解する説もあります。 

天武天皇亡き後、大津皇子(出生順では第3皇子)の死によって草壁皇子(第2皇子)の即位は間違いないと思われましたが、なんと28歳で逝去してしまいます。そこで即位したのが、天武天皇の妻であり、草壁皇子の母持統天皇です。 

そして、草壁皇子の子軽太子が15歳で立太子、8月に即位して文武天皇となります。持統天皇の悲願はここに達成され、直系皇位継承が実現されたのです。

古典絶景naviでは、この人麻呂の歌を取り上げ、プロモーションビデオでもこの歌が中核をなしています。
ぜひご覧ください。



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