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実朝の退場

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、ついに源実朝が殺されてしまいました。『愚管抄』『吾妻鏡』、黒幕説、単独説を踏まえながら、シェイクスピアの悲劇(私がこのスタイルの悲劇を初めて知ったのは、映画『ウエストサイドストーリー』)を観るような、緊張感のある回でした。
 
『吾妻鏡』は鶴岡八幡宮出立の期に及んで、様々な異変「抑今日勝事、兼示変異事非一」があったことを書き記しています。地上で異変が起きるときには、天が警告を発しますが、実朝の場合自分の死を悟っていたのではないかと思われるような、異様な行動をとっています。
 
鬢を整える係の宮内公氏に自分の髪の毛を一筋抜いて与えたり、また自邸の庭の梅を見て、いわゆる「辞世の歌」を詠んでいます。
「出(い)でていなば主(ぬし)なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」 
(私が出ていったならば、主のいない宿となったとしても、軒端の梅よ、春を忘れずに咲いてくれよ)
 
この歌が、菅原道真の「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」(拾遺集・雑春)を踏まえていることは明らかで、『吾妻鏡』が言うように、「禁忌の和歌」です。二度と戻ってこないことを悟っていたかのような歌です。
 
この歌は、『六代勝事記』にあるのみで、実朝の家集には見えません。実作と考えるのは難しいと思いますが、実朝らしいと信じられたきた理由もそれなりにあるようです。坂井孝一氏は、実朝は梅の花に執着していたことを指摘しておられます(『源実朝―「東国の王権」を夢見た将軍―』講談社選書メチエ)。
 
実朝の「出(い)でていなば主(ぬし)なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな」の歌を考えるにあたって、注目すべき歌が、柳営亜槐本『金槐和歌集』に見えます。
「咲きしよりかねてぞ惜しき梅の花散りの別れはわが身と思へば」
(梅の花が咲いたときからはやくも花が散ることが惜しまれる。散って別れるのは、私自身だと思うので)
 
例えば、新潮日本古典集成の頭注を引くと、「自分の死を予感したような歌。717(「出でていなば」の歌)と関連させて考えると詠作時期は晩年の建保6、7年の春であろうか。「散らねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は今は限りの色と見つれば」(『古今集』秋下、読人しらず)によるか。」
 
「咲きしよりかねてぞ惜しき梅の花散りの別れはわが身と思へば」の「散りの別れ」という詞続きは実朝独自で、いい表現ですよね。しかし、発想じたいははやく『古今集』から見られます。「散らねどもかねてぞ惜しきもみぢ葉は今は限りの色と見つれば」以外の例を挙げます。
 
散る花をなにか恨みむ世の中にわが身もともにあらむものかは (古今集・春下・112・読み人しらず)
 
世中のはかなきことを思ひけるをり、菊の花を見てよみける 
秋の菊にほふかぎりはかざしてむ花より先と知らぬわが身を(古今集・秋下・276・紀貫之)
 
実朝の「咲きしより」の歌も、辞世の意味というよりは、人の命のはかなさを花と同じ、いや花以上という意味で詠んでいるのでしょう。
ただ、実朝にとっての「死」は、都の貴族たちよりははるかに身近で、我が事であったと思います。
 
柿澤勇人さん演じる実朝の最期の澄んだまなざしは、忘れることができません。長きにわたって、私たちを魅了してくれた「実朝」の退場に心からの拍手をおくりたいと思います。

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