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鴨長明の『方丈記』より

当たり前なのですが、大学の授業で学生に共感してもらえるところと、社会人講座で反響が大きいところは違います。はっとさせられる経験もしばしば。
 大学生に話しても反応がないのに、社会人の受講生の反応が大きい例に、鴨長明『方丈記』のこの箇所があります。
大飢饉の様子を描写した部分です。
 さりがたき女男など持ちたるものは、その思ひまさりて、心ざし深きは必ず先立ちて死ぬ。そのゆゑは、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふかたに、たまたま乞ひ得たる物を、まづ譲るによりてなり。 (『方丈記』)
 (離れがたい妻、夫を持った者は、より愛情の深い方が、必ず先だって死んでしまう。その理由は、自分は次にして、男でも女でも、愛おしく思う相手に、たまたま得た食べ物を、まず譲るからである)
 長明の人間観の一端がこぼれ出たような描写ですよね。
長明は、この箇所に続いて、また次のように記しています。
 
されば、父子あるものはさだまれる事にて、親ぞ先立ち死にける。又母が命つきて臥せるをも知らずして、いとけなき子のその乳房に吸ひつきつゝ、臥せるなどもありけり。                       ( 『方丈記』)
(そうであるので、親子の間柄にある者は必ずといってよいほど、親が先に亡くなる。また母の命が尽きたことも知らず、あどけない子どもが母のお乳を吸いながら、そのうえに臥せていることさえあった。)
どんなに貧しくても子どもを手放さず、わずかな食べ物を与えて、自分は餓死してゆく。なんともつらい場面です。長明の筆致は淡々としていますが、人間に対する根本的な信頼のようなものを感じさせるくだりではないでしょうか。
 

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