思うわけです

なんて自分の感情を安っぽく気取っておいてその実感じ入るような文章に仕立てるわけです

ちょっくら感傷的な人間には便利で頻出の常套句です

これから連ねるあれそれはそんな話は少しも関係のない話ですからご安心を

連ねると言っても連ねて意味を為すような言葉たちではありませんのでそれもご了承のこと

仕事を終えた後だとか、読書の最中でも無関係に

ふと気を抜くと、深いところから泣き声と罵声とが聞こえるんです

気を向けたくなくても、誰の声だろうかと一度は耳を澄ましてしまう

自分か母か他人の空似か

どれも同じ声であることだけはわかってしまう

誰の声にせよ、ずっと聴いていたいものではないのでヘッドフォンをおっかぶって耳を塞ぎます

ヘッドフォンは有能です

そんなことですら自分の無能さを思い知るような無様

自分が自分の腹の中の地獄に見て見ぬ振りをするから誰にも知られぬようになったのか

見て見ぬ振りをされたから、自分も自分に対してそうしてしまおうと周りに倣ったのか

どっちにしろ、何も変わらなかったのでそれはきっとどっちもなんでしょう

気付いたときにはまんまと、苦悩とお友達になってました

不思議な話、苦労は心根を太くしますが、苦悩は人生を貧しくするばかりです

苦悩を他に代えられるような生産性は欠けています

けれど、どうしようもないからとほうっておきすぎた

自分という奴はもう自分なんて不幸そのものだと思い込んでしまっているようで

絶望に取り憑かれて他への悪影響しか取り柄のない鬼だと決めつけています

まだゆるしてはくれません

わんわん泣きながら私というペルソナをぽかすか殴るその幼い子供の顔は我ながら恐ろしい相貌でしたとも

泣き止めば、それが大人しくなる頃がくるなら

そのときに甘いお菓子とかあげたら、きゃっきゃと笑ったりなんかして

自分の全部まるっきり無罪放免ってことにできませんか



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