私にとっての食べること、とは
奇しくもコロナ禍の今、何かと自宅で過ごすことが増えてしまった。
ふだんならあちこちへ取材へ出かけて、たくさんおいしいものをいただいて、ひたすらに原稿を書きまくる。そんな当たり前の日々が突然に絶たれてしまった。
せっかく珍しく時間ができたのだからと本を読んでみても、なんだか活字を目で追うばかりで全然頭に入ってこない。
こんなことは、学生時代の教科書の丸暗記以来で、自分にとっては一大事だった。常に5冊は同時進行で小説やら新書やらを読みふけり、外出時に文庫本がカバンに入っていないと不安になる。知らない街に行ったら、まずはその街の本屋を探す…そんな私が、だ。
今に思えば、たぶん疲れていた。
テレビを付ければ息巻いたコメンテーターは不安をあおり、急に減っていく仕事や、知人のお店が閉業したこと、これからのこと。考えることはいくらでもあった。
そんな折に、友達がオンラインで開催しているヨガクラスに参加した。
高校時代からの友達だった彼女は、元タカラジェンヌ。気負うところが全然なくて、のんびりとした話し方をする1児のママだ。タブレット越しに聞こえてくる声に耳を傾けながら、久しぶりにゆっくりと呼吸ができた気がした。
そのあと、いつの間にかベッドで眠っていた。
ふと目が覚めるとお昼はとうに過ぎていて、初夏を思わせる日差しがベランダからじりじりと差し込んでいた。
……ぐぅ。 と、おなかが鳴る。
リモートワークだとついついつまみ食いなんかをしてしまって、何かしらを口に入れていたから、おなかがすくのを感じることもなかった。
せっかくだからごはんを炊こう。そう思い立ってキッチンへ向かう。
シャッシャッシャッ
土鍋の中で水とお米が躍る。そっと水を替えてまた繰り返す。
火にかけ、カタカタと蓋を揺らす湯気にごはんが炊けるいい匂いが混ざる。
火を止めてから15分ほど蒸らす時間がじれったい。そろそろか? …いや、まだか。
ピピピピピ…キッチンタイマーの知らせで蓋を思いきり開けると、もわっとした湯気の中から、きりりと立ったほかほかごはんが現れた。
おともは何にしよう?
そうだ、こんな時に合わせるなら、絶対に梅干しだ。4年前に漬けた梅漬けがまだあったはず。冷蔵庫からガラス瓶を取り出して真っ赤な梅漬けを箸でひとつ摘み上げる。紫蘇と梅の香りが立ち昇る。
紅い漆の飯椀におしゃもじでごはんをひとすくい。盛り付けて梅をのせたら、頬の奥のほうがキュンとして一気に食欲が爆発する。
「いただきます!」
箸で軽くほぐした梅を白いごはんに絡ませながら、口いっぱいになるくらいにたくさん掻き込む。お行儀が悪いといわれても、頬張る幸せは何物にも代えがたい。はふはふしながら飲み込んで、ほっと一息つく。
そうだ、幸せってこんなことだったのかも。
私の日々を豊かにしてくれたのは、とびきりのごちそうでもなく、世界三大珍味でもなく、炊き立ての白いごはんや、出汁の効いたお揚げのお味噌汁、あのパン屋さんの厚切りトーストだったりした。
その日から、少しずつちゃんと食べることを始めた。
私は今おなかがすいてる?
なんとなくダラダラとつまんでない??
自分の体へ問いかけることの大事さを身に染みて感じ始めていた。
そして、また本を読みたくなったのはそれからちょっとしてから。
まず手に取ったのが向田邦子さんの傑作選「海苔と卵と朝めし」だった。
豊かな食べ物の描写と、生き生きとした文章。求めるものがギュッとつまった一冊だ。
元来食べることが好きだった自分ならではだな、と思ったのと同時に、せっかくならこんな自分にとっての"食べること”を書きたい! と衝動的に感じてしまったのだ。
そんな勢いに任せてこれから少しづつ書いてみることに決めた。
私にとって大切な食べ物の、とっておきのあれやこれや。
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