日和見感染
まだ、自分の中に残ってた部分。この女の卑しい部分は私の中から三年ほどまえに消えたと思っていた。
しかし、昨晩それは復活した。普段は大人しいウイルスのように私の精神に潜み続け、日和見に起こされた。
「幸福になる必要なんかありはしないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、 幸福がぼくのなかに棲みはじめた」
大好きな名言であり、未だ成し遂げられない課題。
今でも十分幸せだと思っているが、それはわずか顕在意識内でのことだろうか。
こんなもんじゃない、という欲が潜在しているかぎり、この課題を片付けることは不可能だ。そんなもの。。。
何かしたい? 何を訴求したい?
ウサギ、お酒、プロレス、これで十分幸せを感じることができる。
なのに、まだあのイヤなウイルスに負ける可能性を見つけてしまった。
気持ちが定まらないときはいつもこうだ。
結局時の流れに身を任せるしかない。思考停止。これに尽きる。
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