「日々新たなり」。
「日々新たなり」。これは、実は私のじいさんの自叙伝のタイトルだ。
父方のじいさんは実は生前に、自費で自叙伝を出版していた。
じいさんの自叙伝「日々新たなり」は、こう始まる。
人生の過ぎ去ったひと齣ひと齣を思い起こすと、その時その場所、その人との哀感が時の隔たりを感じさせず実感となってよみがえる。。。。
現職をおえ、余生を送るようになってから書き始めたらしいこの自叙伝の「まえがき」を読んだとき、理屈では言い表せない血のつながりを感じずにはいられなかった。
というのは生意気にも自分も、いつかオモシロかつ、美しい文面で自分のなにかを残したいという欲求が少なからずあったからなのだと思う。
私の記憶にあるじいさんというのは、いつも偉そうにふんぞりかえり、何かの書物を読みながら、偉そうにひとりがけのソファに座っていた。
しかし、飲むと機嫌が良く、たまにお小遣いをくれた。
とりわけ中学時代の私は成績もよく、信じられないが人生で唯一スポーツで功績を残した時代だったもので、成績表やメダルなどを見せに、家に遊びにいってはよくほめられ、そのたびにお小遣いをくれた。
じいさんちでは、ばあちゃん、父さん、母さん、近所のおじさんおばさんなどが頻繁に集まり、よく麻雀をやっていた。ばあちゃんが安い手で勝ったり、ロンされたりするときまってじいさんはばあちゃんを叱った。
そして、息子である父さんはじいさん同じ教員だったこともあり、ことあるごとにじいさんとぶつかり、しょっちゅうもめていた。
あまり好きではないじいさんではあったが、現役時代は国語の教師であり校長まで務めあげたたじいさんをどこかリスペクトしている面もあった。
反面、戦時中に青年時代だったにも関わらず、師範学校は出たことは自負しながらも、理由は忘れたが、戦争に行っていないことに少し蔑みに似た感情ももっているのも事実だった。
確か私が中学生のとき、このじいさんの自叙伝「日々新たなり」が書き上がり、製本されたものを読んだのだと思う。
内容に自分の登場がなかったせいか、あまり内容を覚えていない。
このお正月に実家に帰って掃除をしていたときにしばらくぶりにこの「日々あらたなり」を見つけた。
なんだか無性に読みたくなり母さんに「これ持ってっていいかい?」と断り、札幌の家に持ち帰った。
今私の部屋には二人の年老いた男の自叙伝が2冊ある。
ひとつはうちのじいさんの「日々新たなり」、もうひとつは上田馬之助の「金狼の遺言」。
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※上田馬之助のいうセメントの強さや、お互いの役割のまっとうと戦いが成立するおもしろさ、これがプロレスのエンターテインメントとしての魅力、という部分は、今後の自分の人生の体幹ともなるべく言葉だと感じ、大変感銘を受けた一冊。
酒癖がよいとは決していえなかった生前のじいさん、そしてその息子であり同じく酒癖のよくない私の父を正直私はあまり慕ってはいなかった。
しかしその血を深く受け継いだ私。
今の私が、彼らの望んだ道にいるかどうか知る術はもうない。二人とももうこの世にはいないから。
「金狼の遺言」を自分なりにまとめたら、20年ぶりに「日々新たなり」をきちんと読み返してみようと思う。
今や亡きじいさんに思うのは、モノを書くことの楽しさを私の遺伝子に植え付けてくれてありがとう。
そして、強くなれる麻雀を教えてほしかった、ということである。
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