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コミュニティは印象に残る出来事が重なることにより生まれる

誇りとは?と人に初めて質問したけれど、
なるほど長所とか得意なことにつながるのかとちょっと驚いているよ。

誇りって自慢になるものなどを指すと思っていたけれど、
築いてきたものやぶれない芯のようなものを指す言葉なのかもしれない。

そして、若干誇りに思っていることが私もそうだなと共感できること(例えば興味関心の幅がひろいこと。それに対するポジティブな姿勢)もあり、
こういうところで共通項があったのかと腹落ちした。

質問:「愛着の持てるコミュニティをつくるための要件・要素はなんだと思っている?」

コミュニケーター1年目の若輩者が日々自問(時々、他問)しているところをさらりと突っ込むあたり、さすがですね先輩。前提として、私はコミュニティを活性化するために意識的に動く必要のある仕事をしていると念頭に置いて聞いてね。

私は、愛着の持てるコミュニティは印象に残る出来事が重なることにより生まれると考えているよ。

憧れの人にであった。人の優しさに触れた。自分の行動がだれかの役にたった。楽しんでいる。悔しいと思った。感情が揺さぶられた。なにかから開放された。グループ内であった過去の出来事をしっている。ここで知ったことが別の場所で生かされた。あけすけに話せる。一緒にいると安心する。

関わる人ひとりひとりが、そこにいる理由は違う。けれど、そこにいたいと思うしそこを継続させていきたいと何らか恣意的に動いているのが共同体。
愛着のあるというのは「しかたないな」とか「それでも憎めない」出来事があったから。義務で縛られるのではなく、みずから動くアガペーのような精神が生まれたからである。

だから印象に残る出来事を生み出すこと、印象に残ったことを伝えること、
(時々強引に)関与してもらえるきっかけをつくることを念頭において、
いまGRIDに愛着を持ってくれる人をすこしずつでも増やそうと実験している。

どんなところに興味を持つのか、なにが感動するのか、関わる人を観察するし質問もする。そして感動をどうやって伝えていけばいいのかは日々模索中。

私の中で昨年すっごく印象に残ったのは夜空と交差する森の映画祭。当日スタッフとして参加したのだけれど、映画祭自体が夢のような感動する世界観を作っていたし、ボランティアメンバー同士、全く重ならないバックグラウンドだけど共同作業を通してずっと関わりたい人たちに出会えたと感動した。いまも余韻に浸りながら、良いコミュニティとは?と自問する対象にしている。

コミュニティ(共同体)が自走したと感じた出来事はある?あった場合、どうしてそう思ったの?

すごく鮮やかな質問を頂いたので私も鮮やかに切り込むよ。回答楽しみにしている!


山口若葉さんと藤本遼さんの期限付き(6月に行うイベント当日までの)交換日記。コミュニティやらデザインやらソーシャルやらについて、うだうだと語ります。