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【ひとりめ出産レポ】筋肉が仇となる

もう7年も前になるが、友人たちに興味を持ってもらえたので出産レポを書いてみる。

標題の部分は終盤になるので目次を用意しました。
どうぞご興味のあるところからご覧ください。

前情報

私は妊娠中期から切迫早産で、悪化する一方だったので主治医に自宅療養を命じられ休職していた。
自宅療養でスピードは遅くなったものの、悪化は止まらない。妊娠後期に入る頃、見かねた主治医に実家に帰り身の回りの世話をしてもらうようにと言われた。それができないなら入院してもらう、とも。
入院したくなかったのでおとなしく実家に帰った。

実家は3世代同居。父母は仕事をしていたが祖父母がずっと家にいるのでいざというときも安心だ。

陣痛を耐え忍ぶ

予定日の10日前、午後2時に陣痛が始まった。過保護な祖父母に気付かれないように静かに堪えた。知られると大騒ぎになることは目に見えている。相手をする余裕はない。

はじめは静かにできていたが、痛みは徐々に強くなる。午後5時、陣痛が始まっていることとそっとしておいて欲しいことを祖父母に伝えた。
午後5時30分、そろそろ腹ごしらえの最後のチャンスだと思い台所へ。
卓上に私の大好きなとうもろこしがどっさり茹でられていた。痛みの合間を縫って一心不乱に食べた。すごくおいしいとうもろこしだった。2本も食べた。
痛みの波に合わせて咀嚼が止まると、遠慮がちにじいちゃんが「痛いんか?」と聞いてきた。痛くて答えられない。てか察してくれ。聞かんでくれ。
と思っていたらばあちゃんが「痛いんやわ。聞きなさんな。」と一蹴。申し訳ないけど助かった。

病院へ

午後6時、母が仕事から帰宅。陣痛も20分間隔だったのでちょっと早いが連絡して病院に向かった。

先生が緊急の処置があるとかでそれが終わるまでは病室で待機。あまり痛いと言わない私が痛いを連呼するものだから旦那が驚いていた。

午後10時、子宮口の開きをチェックするために診察台に乗る。助産師さんが「全開だねー」と言いながらこちょこちょしたら破水した。こちょこちょ〜バシャーやし、あったかいしでびびった。

分娩台

いよいよ分娩台。
ずっと切迫早産だったし、子宮頸管も4㎜ないといけない時期に2㎜ちょいしかなかった。
そんな経過もあったし子宮口全開までもスムーズだったからだろう、助産師さんに「日付跨がずに生まれると思うよ」と言われた。
私もそうしたい。その日は友だちの誕生日。そして翌日は義弟の誕生日だ。できれば思い入れの強い方といっしょがいい。

筋肉のせいで

午後11時50分。私は焦った。生まれん。
助産師さんも「あれ〜?」と言いながら股を覗く。

「わかさんスポーツしちょった?」

二の腕の太さとか肌の黒さ、あとたまに顔でそう聞かれることはあるけど股を見て判断されたのは初めて。(そもそも股を見られることなんか産婦人科でしかないけど)

「バレー…くっ…ボール…してましっ…た!」
「あーそれでかー。産道に筋肉ついちょって伸びが悪いわぁ」

えぇー。筋肉ぅ…。

バレーボールが特別産道に筋肉がつきやすいスポーツというわけではないと思う。
というのも私、中学生のときからお尻を締めて生きてきた。お尻に力を入れると背筋が伸びて姿勢がよくなる。自然と腹筋にも力が入る。ただ立っている時間がもったいなくて、筋トレと思ってお尻に力を入れていたらクセになった。10年以上そうやって生きてきたから、産道に筋肉がついていたのはそのせいだと思う。

ラストスパート

思ったよりも時間がかかり、だんだん疲れていく。もう眠くて仕方なかった。
陣痛が1分間隔のとき、インターバルの1分で寝ていた。1分後には痛みに殴り起こされるが眠すぎて我慢できなかった。
余談だが、1分間叫び続けていたのに急に黙り意識を失う私を見た旦那は「こいつ死ぬんかな」と思ったらしい。

眠いしその上お腹も空いてきた。義母がおにぎりをたくさん買ってきたと聞いた。ツナおにぎり食べたい!食べて寝たい!はよ生まれてくれ!と思っていたら、最終的に子どもの回旋異常で吸引することになった。
でも、伸びの悪さは解消されていないので引っ張っても出てこない。
助産師さんが私に馬乗りになり、お腹を押して子を押し出した。苦しくて動物が首を絞められたときのような声が出た。めちゃくちゃ苦しいとき、人間って動物に還るんだなぁと思った。

そうして1:55に第一子誕生。

残念ながら義弟と誕生日がいっしょになってしまった。

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