欲と理想
久しぶりに小説を読んだ。そしたら色々考えたくなったので記録として残してみる。
というか、ちょっと落ち込んだので整理してみる。
小説を読んでいて、わたしがいいな、憧れるなと思う登場人物ってけっこう似通っている。
特徴を考えてみると3つ出てきた。
あるものに目を向けている人
自分に執着しすぎていない人
行動に信念がある人
1.あるものに目を向けている人
自分が持っているものをちゃんとわかっていて、欲があまりない。
いや、欲はあるんだけど、あまり俗っぽくない。
ないものよりあるものに意識が向いていて、感謝の気持ちがあって大事にしている。
その大事にしてる様も、過保護ではなくて、ちょうど良い距離感で心地良い感じ。
大事にはしてるんだけど、固執はしていない。
2.自分に執着しすぎていない人
これは、自分を大事にしていない人という訳ではなくて。
大きな流れの中に自分がいることがわかっている感じというのかな…
「全は一、一は全」(byハガレン)を体現しているような。
これって知識としてはわかっていても、難しいなあと思う。
どうしても自分のことには執着したくなる。
3.行動に信念がある人
自分の中にぶれない軸があって、判断や行動に大きく迷わない。
でも軸を守るぞ!みたいな気合いはなくて、染み付いていて自然とできている感じ。
そのせいで他者との関わりがうまくいかないこともあるけど、それも自分の納得する形で落とし所を見つけられる。時間がかかる時もあるけど。
しなやかさがあって、たわんでも折れない。
◆◆◆
こんな風に自分もなりたいと思うと、副業で収入を得たい!もっと違う仕事をしたい!ほしいものもたくさん!と思っている今の自分って、なんて低俗なんだろうという気がしてくる。
もちろん小説は小説なのはわかっているけども。
理想の暮らしに近づきたい欲と、今に目を向けて自然や流れとうまく調和している理想の状態、これは果たして両立するんだろうか?
ちょっと考えてみた。
どちらもパーフェクトには難しいけど、うまく共存させることはできるんじゃないかなというのが今のわたしの答え。
床に置いた布から一点だけつまむイメージ。
基本的には今あるものに目を向けるのがベース。
その中から、ここは!というものに絞って理想に近づける感じ。
理想の暮らしと言っても、今すでに部分的だとしてもできているもの、優先度がさほど高くないものもあるはず。
部分的というのは、仕事内容は違うけど、在宅で働くことはできている、みたいなこととか。
働き方や住んでいる場所は理想とは違うけど、朝起きて白湯を飲む習慣はできてる、みたいな小さなことも。
まずは今できているもの、あるものを認識して、自分の中にベースを作っていく。
そんな中で、理想には程遠くて自分で変えていくしかない、行動を起こしたい、と思えるものに数を絞って取り組んでみる。
取り組むときはフラットな気持ちで、自分の心を判断基準にする。流れが来たら乗ってみる。
そのうちにベースの部分が上がってきて、つままれている部分が目立たなくなってくる。そうして理想だったものが今あるものになる、みたいな。
こんな流れならできそうかな。
欲も理想も今のところはとめどなく出てくるから、あるものに目を向けることをまずやってみよう。
自分と対象との間を線でつなげる感じ。つながったものは大事にしたいから、全部をつなげようとしない。糸がこんがらかる。
ちょうど良い量で、ちょうど良い力で。
それは物だけじゃなくて、人もそうだし、時間とか思考とか目には見えないものも。
第一歩として、手をつけやすい断捨離から始めようかな。
2022年が終わる頃には、全部のものと線がつながってますと言えるようにしたい。
あと、自分の理想の暮らしをもう一度考えてノートに書き出して、今すでにできているもの・あるものも探してみよう。
そして年末にもう1回同じ本を読んでみよう。感じ方がどう変わっているかな。楽しみ。
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とりとめのない文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。
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