《企画メシ2024》第1回講義の感想をツラツラと✍️

🟢はじめに

先日、企画メシ2024 第1回目の講義を受講しました。せっかく飛び込んだチャンスなので、備忘録として思ったことをつらつら書き連ねておこうと思います😊

🟢備忘録

講義の中で、『あなたは何者にもなれない、あなたはあなた』という言葉が出てきた。
その言葉が、自分の頭の中でぐるぐると駆け巡っている。(そしてこれを書いている今も。)

なぜなら、私の今1番の不安の種が、《自分は一体何者なんだ?》というアイデンティティ迷子だからだ。

『あー無理だ、無理。なんだこの人生。空っぽだ』

私は2年前、全てが上手くいかなくて、駅のホームでしきりに独り言を無意識に吐いていた。
他人から攻撃され、気持ちが完全にやられてしまったのだ。1秒たりとも動悸が止まらず、息をするのもしんどかった。

大前提として、人に向かって人格否定まがいの言葉を投げかけるのは間違っているし、その言葉を受け取ってしまったら最後、落ち込むのは仕方がない。
ただ、今になって振り返ると、ここまでひどく落ち込んでしまったのには、『自分はこういう人間で、そして、自分は自分のままでいい』という自己理解と自己承認が出来ていなかったからというのもあると思う。

私は昔から自己紹介が大の苦手だ。
『自分は〇〇が好きで、〇〇を頑張っているこんな人間だ!』という自分軸がなく、書くことがない、言うことがない。
そして特にそれを克服しようともせず、20何年間も怠けた結果、自分の正体がよく分からず、尊重してあげることもできず、他人から投げかけられた人格否定を真正面から受け止めてしまった。
他人の悪意から自分を守ってあげられなかったのだ。

《私にだって基本的人権があって、誰にもその存在を否定される筋合いなどない。誰かに踏みにじられるべきではない。》

そんなこと頭ではわかっているが、自分軸(ここでは自己解釈&自己承認と定義する)がないと、自分の価値をすべて他人からの評価に委ねてしまう。
もちろん色んな人と関わり、周囲から評される中で、自己理解が深まる面はあるのは間違いない。ただそれは、あくまでも『自分は〇〇な人間である、そして、そんな自分も素敵である』という自分なりの自己解釈と自己承認があって初めて、他己評価との差異から導き出せるものだと思う。

ところでなぜ、私は自分軸がなく、アイデンティティが迷子なのか。
それは、『自分の人生に本気で向き合い、悩みに悩んで選択する』という事をしてこなかったからである。

今の私は様々な選択を経て、ここにいる。だから、その時の私なりに選択基準はあったと思う。(こっちの方が楽そうだし、なんとなく傷つかなさそうだし、なんとなく見栄え良さそうだし...という程度だと思う)

でも、何も思い出せないのだ。
なぜなら本気で選択をしてこなかったから。


後悔した私は、この2年間で意識して多くの選択をし、人生の分岐を沢山作った。まるで、カラカラに乾いたスポンジが勢いよく水を吸収しているかのごとく、色んなものに手を出した。この企画メシだってそうだ。

まだ成し遂げられていないものの方が多い。手を出してみたものの、さぼっていて最近慌てて再開したものもある。そして、未だにアイデンティティは迷子のままである。

俗にいう「クオータークライシス」という言葉で片付けてしまえば楽なのかもしれないが、それでは根本的な解決にならない気がするし、せっかく負った深い傷を気の所為にしてしまうみたいでなんだか癪だ。傷ついた自分が不憫である。
傷を実感したからこそ、今回の講義も心に沁みたはずだ。

だから今は、そんなアイデンティティ迷子な自分を認めつつも、これからは本気でした選択から伏線を回収していくしかないと思っている。
当初思い描いていたものから形が変わっても良いから、もう自分で自分の選択を正解にしていくしかない。

自分はまだまだどこか(というよりだいぶ)ドス黒い感情をフックにして日々を生きている。そして、今もまだジワジワと辛い。
傷を知らないあの頃には戻れないと思うと、これからもふとした時に辛いままだったらどうしようと眠れない時がある。

でも、最後は自分で立ち直るしかないのだ。
死にそうだったのに2年も生きているだけで私はあの時より強い。よくぞもがいて生きてきたなと思う。自分で自分を褒めてあげたい。

これからは、自分のした選択を認めてあげながら、《自分は何が好きで、何を頑張りたいのか》を、色んな人と関わりながら輪郭をはっきりさせていきたい。
そして、いつか振り返った時に《あ、自分ってこんな人間なんだな、頑張って生きてきたんだなぁ》と納得出来れば良いと思う。

#企画メシ

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