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ファッション(28話)

ファッションに関しては一様自分なりには中学1年生から目覚めていた。

しかし、私が選ぶ服はどれもセンスが無いとか、組み合わせが変とか、1つ1つは可愛いが何故にこれとこれの組み合わせ?

と、いつも同じ事を周りから言われていた。

とにかくその意味が分からなかったし、変だと言われたら恥ずかしくは成るがよく分からなかった。

柄と柄を組み合わせたり、派手な色と派手な色を組み合わせたり。

要するに、自分が可愛いと思うものと可愛いと思うものを何も考えずに組み合わせて着ていた。

服を買う時は目に付いたものを買っていた。

友人とのショッピングでは私に似合う様な服を選んでくれたり、どこか行く時にはお洒落に髪型をセットしてくれたり、脇毛なども抜いたりそってくれたり、オシャレに遊んでくれていた。

私が特に目に付いたファッションはインド服や民族衣装の様な服でした。

自分なりにそれっぽく重ね着をしてピアスやネックレス、ブレスレット、指輪もジャラジャラ付けていました。

前髪は決まってぱっつんでした。

インドでの前世のチップ(情報)を多くもって来ているのでそういった慣れ親しんだ服に特に目が行ってしまう。

皆、そういうものです。

今と成っては私にとってファッションと言うものは只、それだけのもので余り、興味はありません。

光の世界でも勿論服と言う様なものはありますが、それは宇宙に1枚しか無い自分だけのものであり目移りするものでもなく、着替えるものでもなく、着飾るものでもなく。

それが自分の一部である為に、皮膚と同様に在り、全ての臓器にも負担の掛からないものであるからその事を思い出すと服に対しての欲というものはある程度消えていくでしょう。

しかし、ファッションと言うものは面白いものですね。

何故に、何枚も服を持っても満足しないのか。

そして、社会的にも持たないといけないのか。

葬式は黒でなきゃいけないのか。

面白い。

「もっと、もっと」はある種、

光の世界での宇宙に1枚しか無い自分だけの皮膚に安定し、内臓にも安定とし、存在を映し出すに最もな服を無意識のうちに知ってるが故に求めているのかも知れません。

それか、何かの埋め合わせの為か?

はたまた世間体や男受け女受けファッションなのか?

しかし、どの感情でのファッションも素敵なものです。

そして、光の世界の事を表現するにはとても言語で伝える事は私にとって大変難しいです。

なぜなら私はその様なコンピューターの設定をされていませんので。(笑)

つづく

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