父ちゃん

父ちゃんはとても優しくて愛情深くて、沢山のことを哲学的な思考で教えてくれた。

小学校の時は、サッカー部の監督をしていて、家にはいつも男の子が沢山いて寂しくなかった。

中学生になる頃から父ちゃんは変わっていった。

朝から夜までパチンコへ行き、その後は飲みに行っていた。

私はお腹を空かせたこともあったし、周りの家の灯りを見ては羨ましくて…羨ましくて…。

不機嫌に帰ってくると父ちゃんは部屋の物を私に全部投げつけた。

顔すれすれにパンチをして壁に穴を開けた。

電気も水道もガスも止められるの当たり前だったし、ツケにしていた家賃を払いに行くのも私だった。

でも、酔ってない父ちゃんは大好きだった。

父ちゃんに酔ってる時のことを話したら『逃げろ!』と言われた。

そして、父ちゃんが帰ってくる3時・4時まで起きていて、不機嫌にドアをバンっと開ける音がしたら私は2階の窓から裸足で屋根伝いに逃げた。

高校生になって、父ちゃんは出稼ぎへ行って私は親戚の家に行った。夜聞こえてきた『わかの生活費が送られてこない』私は親戚の家で出来ることは何でもやった。

働きながら短大へ通いだした時は、父ちゃんが毎月お金が無いと電話がかかってきて3万円仕送りしていた。

父ちゃんを助けようと、大阪のあいりん地区の福祉に助けを求めたが、門前払いされた。

結婚式にも呼んだ。父ちゃんに携帯を買って、服も用意して…しかし、来なかった。

私は100人の前で嘘をついた。

『父は体調を崩し入院しています』と。

父への手紙も読んだ。

孫が出来ると、とことん酔っ払って突然家に来て、ベロベロに酔っ払って帰って行った。

『ママのお父さんって言えないから、酔ってこないで!』

父ちゃんは精一杯 家へ来たのだろう。

東日本大震災の後、電話がかかってきて何時間も防災についてしつこく言ってきた。

はいはい。と返した。

その次の月、父ちゃんは亡くなった。

親戚から嫌われた父ちゃんは独りだった。

棺桶に向かって『この世は行きにくい世界だったね』と何度も何度も言った。

そして、骨になった。

骨を拾う時に『大きい骨壷にしますか?小さい方にしますか?』と、聞かれ  先祖のお墓に入れないと言われていたので『小さいのでお願いします』と言った。

沖縄へ小さい骨壷抱えて帰り、お墓に入れてくださいと頭を下げた。

ボケていたおばあちゃんは『息子が小さくなって帰ってきた』と何度も何度も繰り返した。

私は罪悪感しかなく、耐えるしか無かった。

そして、私は病んだ。

いっこうに良くならない鬱の旦那の面倒。3人の子どもたちの面倒。

病んでるのに必死だった。

荒れた。

死のうとした。

父ちゃん。

あの世は行きづらくないですか?

私はまだ行きづらいです。

今日は思いっきり一緒に飲みましょ。


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