【図書紹介】Williams, B. (2009). Shimmering Literacies(『きらめくリテラシー』)

「学習者は何を知っていて、何を知らないのか?」

教える行為に従事するとき、いつもこの問いが頭に浮かびます。学習者は、あるいは子どもは、何を知っていて、何をしらないのか。すでに知っていることを先生から滔々と語られるのはつまらない。しかし、知らないことを教えてもらえないのも、いったい何のためにわざわざ教室まで来ているのかとなります。

学校で何を教えるべきかということについては、決して簡単に決められるものではありません。たとえば、学問⇒教科へと教えるべき内容を棚卸しし、これを子どもに伝えるという筋道は大切ですが、実際の子どもが何を知っているのか、何を経験してきたのかに配慮することも必要です。教育を専門としない研究者のなかには、前者だけに焦点化している人もいるなと感じます。また、新教育(的な何か)等の信奉者となった先生のなかには、子ども中心へと傾斜して教科内容を軽視することを「価値ある実践」として信じ込んでいる人もいるなと感じます。どちらかだけが大切だというわけではなく、どちらにも目配せしながら、両者のバランスをとることが優れた教育実践には不可欠でしょう。

構成主義的学習観に立つならば、子どもは白紙の状態で教室に来て、何かを学ぶのではなく、すでに何かしらの知識や情報、スキル、思考・思想の枠組みをもったうえで、教室に来て、何かを学びます。そして、知らないことを学ぶときに、すでに知っていることとうまくつなげながら学ぶことができれば、学習の効果も高まるでしょう。

このような考え方を読み書きの学習に適用すると、どうなるでしょうか。学習者は学校でのみ読み書きをしているわけではありません。もちろん、ここで言う「読み書き」を「学校的な読み書き」と限定すれば、「ほとんど学校でしかしていないじゃないか」ということになりますが、鉛筆を握りしめて白紙の原稿用紙に向き合うだけが「読み書き」の実践ではないでしょう。たとえば中高生ならばLINEでのやりとりもひとつの読み書き実践でしょう。大学生もレポート・ライティングばかりをやっているわけではなく、サークルやバイト、その他の生活のなかで様々なことを読み、書いています。YouTubeを見てコメント欄に何かを書くのもそうです。もちろんSNSも。

今回とりあげるShimmering Literacies(『きらめくリテラシー』)は、学習者の既有知識や経験を描き出そうとしています(Williams, 2009)。以下、本書の紹介文です(出版社の本書概要説明より筆者訳出)。

本書は、若者の日々のオンライン・リテラシー実践におけるポピュラーカルチャーの強力な役割を検証している。教科内容として、ディスコースとして、あるいは修辞パターンを通して、ポピュラーカルチャーはオンラインにおける読み書きの形式と内容の両方を支配している。本書では、オンライン・テクノロジーがリテラシーやポピュラーカルチャーの実践をどのように変化させたかだけでなく、なぜ変化させたのかを理解するために、MySpaceやFacebookのページからファンフォーラムやファンフィクションに至るまで、オンラインの参加型ポピュラーカルチャーを考察している。インタビューや観察によって、学生がコンピュータの前に座ってマルチタスクに取り組むときに身につけるスキルや習慣が、ポピュラーカルチャーのジャンルや電子メディアを越えて明らかになる。本書はポピュラーカルチャーのリテラシー実践に関する重要な洞察を教育者に提供しており、オンラインで読み書きする際に、学生がどのように意味をつくり出し、日々アイデンティティを実践しているかを明らかにしている。

目次は以下のような感じです(謝辞等一部省略&雑訳)。

1 はじめに Introduction
2 すべての人が発言する:聴衆とコミュニティの変化 Everyone Gets a Say: Changes in Audience and Community
3 正しいピースを探す:コラージュ文化のなかでテキストを作成する Looking for the Right Pieces: Composing Texts in a Culture of Collage
4 「あなたはどのサウスパークのキャラクター?」:ポピュラーカルチャーとアイデンティティのオンラインパフォーマンス "Which South Park Character Are You?": Popular Culture and Online Performances of Identity
5 自分自身の物語:ジャンル・オンラインの社会構造 A Story of One's Own: Social Constructions of Genre Online
6 アイロニーの快楽:感情とポピュラーカルチャー・オンライン The Pleasure of Irony: Emotion and Popular Culture Online
7 次に来るのは何か。結論と予想される結果 What's on Next? Conclusion and Implications

著者(Bronwyn Williams)は、ルイビル大学英語学の教授で、リテラシー、アイデンティティ、デジタルメディア、ポピュラーカルチャー、創造的ノンフィクションの研究を専門とする方です。特に、日々の生活のなかで取り組んでいるリテラシー実践と、学校・大学で遭遇するリテラシー実践の関係性に研究の焦点が合わせられています。『きらめくリテラシー』もまた、生活と教室の間のリテラシーの交錯をモティーフとして書かれたもので、オンラインにおける学生のリテラシー実践の実態に関するエスノグラフィーと言えるものです。すなわち、オンラインにおいて若者がどのような読み書き実践を行い、その過程でどのようにアイデンティティを形成しているのかを、オンラインの資料分析、学生へのインタビュー調査と観察によって描き出されています。

本書でも随所で引用されているように、おそらくジェンキンス(Henry Jenkins)の「コンバージェンス・カルチャー(convergence culture:収斂文化)」をモティーフとして研究されているように思います(Jenkins, 2006)。*この点はちゃんと調べていないので、ただの感想。

今書いている論文でShimmering Literaciesを「生きられたリテラシー実践」の一例としてとりあげました。書き終わったら、プレプリントか何かとしてresearchmapにでも貼っときます。Web公開まで1年のブランクがあるので。

萌芽的な論考で、かつ私の研究関心が自己表現(米国の表現主義作文教育)に根差しているという偏りから、かなりあっさりとしたまとめになっています。たとえば、ブリコラージュやアイロニーに関する記述にはほとんど言及できていません。もっと知りたいという方は原著をご参照ください。米国での議論なので、そのまま日本に適用することはできません。木に竹を接ぐことになります。しかしながら、示唆的な部分もあるでしょう。

本稿では、紙幅の都合で論じられませんでしたが、ネット上のヴァーチャル・コミュニティは必ずしも価値あるリテラシー実践となるわけではありません。ネットも無色透明な空間ではないので、そこには何かしらの偏りや傾向があり、それが結果として「害をなす」リテラシー実践となることもあります。フェイクニュースや自分語りに伴う承認欲求の肥大化は、ネットにおけるリテラシー実践の負の部分とつながっているでしょう。

ただ、それらも含めて、「学習者は何を知っていて、何を知らないのか」、あるいは「学習者は何を経験していて、何を経験していないのか」を見定めるための事実として認識しておくべきものであり、また、そこから始めないことには上からおろしてきた知識を伝達するという素朴な実践さえも十分に実行できないのではなかろうかと思います。

【参考文献】
・Jenkins, Henry. (2006). Convergence Culture: Where Old and New Media Collide. New York: New York University Press.
・Williams, Bronwyn. (2009). Shimmering Literacies: Popular Culture and Reading and Writing Online. New York: Peter Lang.

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