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【雑記】「まあまあのレポート」を書くために

■問題意識
コロナ禍で大学の授業がオンラインに移行されたり、特別課題が出されたりしている。そんななか、「今、大学で授業を受けて困っていること」を学生に尋ねてみたところ(→ツイッタータグ:#2020MK特別活動論2)、レポート課題が続々と出されて、日々これに追われているとの学生の声が散見された。

レポートはきちんと取り組めば、学ぶべきものがとても多いが、学生から提出されるレポートを見ていると感想文に終始するものも少なくない。そこで、レポートを書く際の留意点について以下に書き記したい。一足飛びに最高評価をもらえるようなレポートを目指す助言をしても、現在のつまずき改善に寄与しないだろうから、まずは「まあまあのレポート」を書くための留意点を列挙することにする。私のような力不足な若輩がどれほどの助言ができるか不安だが、ライティング教育や教育評価を研究対象とする者として、特別課題レポートに追われる学生の一助となれば幸いである。

■目標
最高レベルでなくていいから、まずある程度の内容と形式の整ったレポートを書く。そのための留意点を知る。

■前提
①「よい文章」とされるものは、求められる文種や、依拠している学問体系・分野によって異なる。原則として授業者の提示するものに寄せるのが吉。
→私は教育学に、より細かくは教育方法学に学んでいるので、以下のレポートに係る留意点についても、この分野の「お作法」への偏りがある。決して普遍的なものではない。
*むしろ親学問をもたない当該分野に身を奉じるものとして、普遍性とはほど遠いことは死ぬまで悩むだろうと思っている……。

②以下に記す内容につき、感想文がウェルカムな場合(授業者に学術的文章を書かせる意思がない場合)は、この限りではない。

■留意点
【内容】
・論じる対象と先行研究の整理
→これらを丁寧・慎重に整理する。ほとんどこれに字数を割くのでよい。レポートは感想文ではないので、素人考えを開陳されても「で?」となる。

・考察が興味深い
→これを評価規準に入れるという評価者にはしばしば出会う(私は入れない)。これは評価者の胸先三寸なので、気にしても仕方ない。

【形式】
・要約と私見(考察)で構成する。
→レポートは調べたこと(要約)と自分が考えたこと(私見)で構成されるが、初学者は原則として調べたことの割合が多くなるように心がけた方がいい。自分が考えたことは「おわりに」に少し書くくらいの心持ちでも構わない(自分が考えたことだらけのレポートになるよりは)。
→調べたことについてはきちんと引用する。引用の形式を守る。きちんと引用せずに他人の書いたものを自分が書いたかのように示すのは剽窃。知的財産の泥棒。事実と意見を分ける。

・図表を用いる。
→図表を用いて「わかりやすく」表現されていると、人間は「説得力がある」と思い込みがち(それが望ましいことなのかは疑問が残るが)。ただし、中身がない図表をポンポン使うのは、あまり好ましいものではない。研究者は文字を読むのに慣れているので、中身があるのならば文字で書いてもちゃんと読む傾向にある。

・参考文献の量
→参考文献0〜2つのレポートを見かけるが、さすがに説得力に欠ける。レポートは論文とは違って自分が学んできたことの証明という面が少なからずあるので、価値ある参考文献をある程度挙げて、その内容を理解していることを提示するのが望ましいだろう。

・参考文献の質
→参考文献の量だけたくさんあればいいわけではない。その分野でインパクトがある/信頼されている文献を参照しているか。
→どの文献がそのような文献に該当するのかは初学者では判断できない。まずは授業レジュメやテキストで示されている参考文献を手にとってみる。
→手にとってみた文献にも参考文献はついている。これをまたたどる。芋づる式に。
→比較的質が高いと思われる「論文」を探したいのであれば、論文検索サイトCinii等を活用するのがよい。(案外知らない学部2, 3回生がいてビビる。今までどんなふうにレポートを書いてきたのか…)
*図書館が使えない現状で文献収集に限界があるのはもちろんだけど、この機会にオンラインで手に入る論文をしっかり読んでまとめる練習をしてみるのはいいことかも。少なくとも謎の怪しげブログとか引用するよりは。

■まとめ
「まあまあのレポートを書く」をテーマとし、割と実践的なアドバイスに終始した(本当はもっとゴリゴリ、ゴツゴツしたことも言いたい/言うべきだけど、それは意図的に避けた)。評価者の期待=評価規準に寄せることばかりを狙うのは、評価をハックする行為とも言えるので、長期的にみると好ましい行動指針とは言えない(と私が考えている)点は付記しておく。ただ、「ちゃんと引用する」とか「参考文献の量と質を確保する」のような形式面を整えようとすると、実は内容面もしっかりしてくるもの。何より、これら形式面の体裁をきちんとするということは(勉強したくない人には身も蓋もない結論だが)、要するに厚みのある文献(図書や論文等)を複数読むということになる。「うわぁー!結局やるしかないんかー!」となるところから始まって、やっているうちに「ん?ここの自分の主張を理由づけるには、こういう資料が必要になるはずやぞ。ちょっと探すか」となっていけば、そこが大学での学びの入り口になるだろう。

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