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「大人は公共の場でお漏らしをしない」であろうという期待

今年、2023年某日、「怒り」という感情を久しぶりに抱いた出来事があった。

今年の4月頃から人格形成を変革をしていたので「怒り」という感情とは無縁に過ごし、とても穏やかな日々であった。

はずなのに。

はずなのに!

抱いてしまった。
負の感情を。マイナスの感情を。

自分でも驚きであった。

2年ほど前にかなり憤りを感じる出来事があった時と同じで、怒りの感情の後は、それを通り越して悲しい気持ちになっていた。

負の感情を抱いた自分にもだし、その相手にも。

熱い風呂に入り、ゆっくりと睡眠を摂ったが、体力が復活して、さらに怒りのゲージが増えていた。


そもそも怒りという感情はなぜ怒るのか。

相手に期待しているからである。

例えば、赤ちゃんが公共の場でお漏らしをしたとしても怒らない。
大人が公共の場でお漏らしをしたら怒られる。

それは、大前提として「大人のあなたは公共の場でお漏らしをしませんよね」という期待をしているからである。

「大人はお漏らしをしない」という期待しているからこそ、その期待を裏切られたと言うことで怒りの感情が生まれ、悲しさが生まれる。

ちなみに私は大人になってから毎年一回は…
この話はやめておこう。話を戻そう。

なぜ、こんな負の感情の投稿をしているかというと

この感情を2023年に置いていきたかったからである。
前向きな、決して後ろ向きな物ではない。

この負の感情を抱いた事実、負の感情が生まれた事実は変わらない。
負の感情が生まれたきっかけを作った人物は変わらない。
変われるのは自分だけ。

2023年に置いて、2024年を私は生きる。

なんて投稿の記事を帰省する特急電車の中で書いていた。
当時の事を思い出したらなんて事のないだったと思える。


もう変われている…
全く期待しなければ負の感情を抱く事はないが、それだとあまりにも寂しすぎる。だから程よく期待していく。


2024年も頑張ります。

2023年12月に作ったローテーブルと落ちた爪楊枝

なんと私、結婚いたしました! そこでご相談なんですが・・・ あんまりこういうのは良くないのかもしれませんが・・・ 祝ってください。