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興味に対する持続力

 日本人の欠点のひとつは「興味に対する持続力の欠如」だと私は思っています。
 これは個人だけでなく、社会の問題でもあります。
 幼い頃強烈に興味をひかれたものに、ずっと固執し続けることを多くの肉親は禁止します。
 その主な理由は「幼稚だ」「無意味だ」「大人になったら困る」「社会に出たあとなんの役にもたたない」「世間体が悪い」等々……。

 そこに子供が生まれつき持っている独自の才能の"重要なヒント"が隠されていることに気づかず、親を含めた大人の社会が、多彩な才能の芽をせっせと摘んでゆくのです。

 私は、便宜上作曲もするし売文もしますが、自分が認識している本業は「作詞」です。
 私も属しているとあるメジャーな協会は、あえて「作詩家」という表現を使っていますが、私の中では、あくまで「作詞」の方がしっくりきます。"家"をつけるかどうかは別の問題として……。

 さて、その「作詞」の実力については、これはもう、主観客観、賛否両論さまざまでしょうが、私には"これだけは他者に負けない"という自信というか、自慢がひとつあります。

 それが、冒頭に述べた、「興味に対する持続力」なのです。

 私はものごころがついた2歳や3歳の頃から、歌詞に異常なくらい興味を示しました。
 家にあったレコード。童謡・唱歌・アニメ主題歌・東海林太郎……。

 そして私が初めて作詞をしたのが、満6歳。
尼崎の下坂部幼稚園に通っている時でした。
 書いた場所までハッキリと覚えています。幼稚園の砂場のフチに腰掛けて……。

 童謡「こがねむし」(野口雨情 中山晋平 大正11年)に触発されて、大好きだった「かぶとむし」の歌をつくったのでした。

 モデルは「こがねむし」でしたから、「こがねむし」のゴロを真似るところから始まりました。

♪ こがねむしは かねもちだ
かねぐらたてた くらたてた

 6語 5語 7語 5語 です。

 七五調や五七調などを知らなかった私は、この変則を、歌とはそういうものなのだろうと信じ、出だしでそのままなぞりました。

 その 久保研二 人生初、幼稚園時代の作詞がこれです。

【かぶとむし】 さくらぐみ くぼけんじ

 かぶとむしは チカラもち
 すいかをゴロンと ころがした

 くろいカラダの かぶとむし
 ひかりがあたると あかくなる

 かぶとむしは チカラもち
 むしかごのなかで いきている //

 大人の目線から見れば意味深な部分もありますが、つくった本人からすれば極めて具象でした。
 ツノを持ち上げてエサのスイカを転がしたのもそのままだし、黒いカラダだと思っていたかぶとむしは、明るい場所で見ると赤みがかっていたのもそのままの出来事です。

 さらに「むしかごの中」の表現も、具象そのままであり、「生きている」も、単にまだ死んでいないという意味であり、哀愁などのなんらかの比喩を込めたものではありませんでした。  
 むしろむしかごの中にいれて所有している誇らしさの方がまさっていたのです。

 メロディはどこまで行っても「こがねむし」のパクリから脱却できず、人前で歌うまでには至りませんでした。私に作詞の才能はあっても作曲の才能がなかった証左でもあります。

 処女作がわずか6歳。1966年の夏。

 それからずっと、私の歌詞に対する興味が薄れた日は1日たりともありません。

 3歳や4歳からギターやピアノやバイオリンを弾き始めたミュージシャンは多数居るでしょうが、6歳から作詞に向き合ってきた人間にはなかなか他で出会えません。これが私の自慢です。

 つまり私は50年以上も、作詞に対する興味が持続しているわけです。

「そやからどないやっちゅうねん?」
「キャリアと実力は比例するとは言えんやろ?」
 というのが、この世界の真実でもある厳しさです。

 でも長期にわたる継続でしか得られないものもたしかに存在するのだと、最近になってようやく気づき始めました。

 今の子供たちに言いたい。
 なんでもいいから、誰にじゃまされても否定されても、大人になっても、一生死ぬまで興味を持ち続けることができる"何か"を、幼いうちから見つけて欲しいと。

 そしてそれを見つける最大のヒントは、自分が好きなもの。得意なもの。取り組んでいる時に夢中になって時間を忘れるもの。

 そしてさらなるアドバイス。
 見つけても、もしもあとで飽きて冷めたら、それは探していたものではなかったのだから、躊躇せずそれを捨ててすぐに次を探すこと。
 飽き性だとか移り気だとかの、他者の批判は一切無視。

 絶対に人の意見に耳を貸さず、常に自分自身と対話すること。自分の本心や本音を拾いあげて大切にすること。

 ほんまに、くぼせんせ、ええこと言いはるわ。

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