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エッセイ 頑張りましょう

 コロナ自粛の今ではなく、5年以上前の話である。

 明日から世間がもれなくゴールデン・ウィークだという日、当時も今と同じ、連休などとは一切無縁の生活をしていた私の右目が突然曇った。

 レトリックではなく、朝起きたら、本当に右目だけが曇り硝子のようになってしまったのである。

 この症状は実は初めてではなかった。

 ちょうどさらに3年半前、富山への出張中にこれと同じのを経験した。


 高血圧でも糖尿病でもない眼底出血だったので、町医者はまずクモ膜下出血を疑ったのである。

 市民病院に到着したら、さっきの眼科医からすでに事前連絡がはいっていたようで、すっかり手はずが整っており、ロビーから車椅子に乗せられてあれよあれよと上の階に運ばれたので、私はそこで初めて事の重大さに気付いたのだった。

 ホテルに荷物を残したままだったので、精密検査の前に医師に、

「今日、ここから帰れないというようなことが……もしかしたらありえますかねえ?」と、試しにたずねたら、

「もしもクモ膜下なら、この世にも帰れないかもしれません」と真顔で言われたので、いよいよ、ついに身体も進退も窮まったかと、まだ無責任な気分のままで覚悟した。

 けれどもその時は結局、最も恐れられたクモ膜下出血ではなく、原因不明ということで、精密検査の結果や写真や紹介状と一緒に山口に戻り、市内の総合病院で引きついで検査を続けることになった。

 その後ベーチェッドという難病も疑われたが、これもやはり、逮捕や起訴に至る決定的な証拠が見つからず、"疑わしきは罰せず"の原則で様子を見ようということになって、それからいつしか3年の歳月が平和に過ぎていたのでる。

 連休……しかも大型ということもあり、救急をハシゴして転々と彷徨った挙げ句に、ようやく元の総合病院までたどりついた。

 ところが今度は、その大きな病院が、定年と内部反乱が重なり、眼科医がまとめて退職して手薄なのと、私の症状が手に負えないという2つの刺激的且つ過激な事情で、大学病院の眼科、ぶどう膜チームにまわされることになった。

 反乱をせずに残った使命感ある眼科医は「自分の紹介状さえあったら、たとえ連休中であっても大学病院では絶対に断られることがない」と、胸を張って自慢した。

 おまけに「うまくいけば眼科のナンバー2くらいに診てもらえるかもしれない」などと付け加えたので、私は主観的に感謝しつつも、その権威好きの臭みに客観的視点を加えて辟易とした。

 さて、その後目出たく大学病院に入学出来てから、これまた数ヶ月検査や投薬を繰り返し、さらに症状が紆余曲折して、ついに手術をすることになってしまった。

 3年前にはいつしか戻った視力が、今回はどうもがいても帰ってこなかったのであるから、これはこれで仕方がない。

 "手術"と聞けばどうしても怖じ気づくが、それを見透かしたように、

「ラッキーでしたね」と、医師が言った。

 私が受ける手術は、ほんの2年ほど前から可能になった手術で、それまでの人はそのまま失明するより他になかったのだという。

 そう言われると目を患った不幸がすっ飛んでしまい、なんだか普通の人より、ものすごく得をした気分になるから人間は不思議だ。

 そこで思わず我にかえってたずねてみた。

「ところで、その新手(あらて)の手術で、実際に見えるようになるのですか?」

「そりゃあ、完全に元に戻るとまではいきませんが、今と比較すれば段違いにスッキリしますよ」

「どの程度の差ですか?」

「今はどんな見え方ですか?」

「まさしく曇りガラスのようです。しかも曇りガラスの向こうは曇り空」

「あれ? 曇りガラスの向こうは風の街、じゃなかったですか?」

「それは《ルビーの指輪》です。私の場合は、あくまで曇り空」

「それでは、曇りガラスを手で拭いたくらいには回復できると思います」

「《さざんかの宿》なら、明日が見えませんね」

「大丈夫ですよ、久保さんならきっと見えます」
 
 そんな禅問答のようなやりとりを交わして、言われるがままに入院と手術の日取りがてきぱきと決められてしまった。

 ここまでくれば素直にまな板にのるしかないと、腹をくくってカレンダーを何枚かめくったあとに、颯爽と入院病棟に入城した。

 入院した翌日が手術日だったので、その日のうちに医師から手術の説明があらためてなされた。

 私の場合は、硝子体と呼ばれる眼球内のコラーゲンからできた透明なゼリー状のものが、眼底からの出血で濁って網膜への光を遮断しているのだそうだ。

 要は汚れたゼリーをすべて外に吸い出し、出血部分をレーザーで焼いて止血し、中を掃除したあとに人工ゼリーを詰めるというのである。

 白目に数本の細い管を差込み、そこから中を照らしたり、カメラを入れたり、切ったり焼いたりするらしい。

 良いか悪いかは別にして、西洋医学の殺伐とした合理性と強引さをあらためて実感させられた。

 医師はさらに、

「どうせ中を見やすくするために水晶体をはずすので、ついでに白内障の手術もやっちゃいましょう」と、気楽に付け加えた。

 ということで、私は右目だけが人工レンズに入れ替わることになってしまった。

 ひと呼吸して最後に医師が、転調してさらに明るく言い放った。

「さあ、明日の手術、頑張りましょう」
 私はそれを聞いて、冷静に言い返した。
 
「いいですか? 頑張るのは私ではなく、あなたなのですよ」。 了
 

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