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大人の童話 ハンスの笛

 大人の童話 【ハンスの笛】
                
          久保研二 著
 
 
 その商人には三人の息子がおりました。長男と次男は共に利口者で、父親から頼まれた用事を、いつも無難にそつなくこなしました。

 けれども末っ子のハンスだけは、お人好しなのですが、なぜか頭の回転がずいぶんとおそくて、いつも失敗ばかりを繰りかえすのでした。
 
 ハンスはそのたびに父親ががっかりするのを見て、悲しくてしかたがありませんでしたが、自分ではどうすることもできません。兄たちはこんなハンスをいつもバカにして、笑い者にしていました。
 
 ある日父親は、ちょうど長男も次男も出かけて留守だったので、しかたがなくハンスを呼び、こう言いました。

「いいかいハンス、おまえにこのコインを三枚持たせるから、おまえはこれから町へ行って、この紙に書いたものを買ってきておくれ」

 ハンスは張り切って返事をして、勢い良くドアをあけて出て行こうとしました。すると父親は慌ててハンスを呼び止め、

「町へ行く途中に、森のそばを通ることになるけれども、決してそこで出会った者の話に耳をかたむけてはいけないよ、特に年寄りには注意をするんだ。それはきっと森に住む魔法使いに違いないからね」

と、念をおしました。

「わかりました。魔法使いに気をつけます」

 ハンスがしばらく歩いていくと、死にかけた猫に出会いました。
 見捨てることができなかったハンスが、いったいどうしたのかとたずねると、猫は息も切れ切れに、

「わたしはずっとお百姓の家に住んでいたのですが、どうしたことか、ネズミをたったの一匹もとれない日が一週間も続いたのです。それで主人に、役立たずの猫は要らないと言われて追い出されてしまったのです。それからもう十日間も、何も口にしていないのです。ああ、もしもミルクを飲んで元気を取り戻すことができたなら、今度は今までの何倍もやる気をだして、ネズミをたくさん取っ捕まえるのになぁ……」と、言いました。

 ハンスは、なんだかとてもかわいそうに思えて、コインを一枚猫にあげました。

「これでミルクを買って、たくさん飲んで元気になって、またがんばってネズミをとりなよ」

 猫は希望が見えると、それだけで元気を取り戻し、何度もハンスにお礼を言って立ち去りました。

 またしばらく歩いていくと、今度はゼエゼエと激しく息を切らしてうずくまっているネズミに会いました。

 ハンスがたずねるとネズミは、

「わたしは、ずっとお百姓の家に住んでいたのですが、どうしたことか、一週間、まるでやる気がなかったその家の猫が、急に元気になってぼくらを追いかけ回すようになったので、みんなで命からがら逃げ出してきたのですよ」

 ハンスは、それはきっとさっき自分が助けた猫のしわざにちがいないと思い、なんだかとてもネズミに悪いことをしたように思えたので、コインを一枚ネズミにあげました。

「これでチーズを買って、猫が居ないところで、みんなでゆっくり食事をしなよ」

 ネズミは、希望が見えるとそれだけで元気を取り戻し、何度もハンスにお礼を言って立ち去りました。

 それからまたしばらく歩いていくと、森のそばに来ました。すると一人の老人が声をかけてきました。ハンスは父親に言われたことを覚えていたので「これはきっと魔法使いに違いないぞ」と疑いましたが、とりあえず返事だけはしようと思いました。

「おまえさんは、どこまで行くのかね?」

「町に行くんだよ」と、ハンスはこたえました。

「何をしに行くのかね?」

「お父さんからたのまれて、買物にいくのさ」

「ちゃんとお金は持っているのかい?」

 ハンスは、いよいよ自分のお金が狙われていると感じましたが、

「この袋にコインが三枚はいっているのさ」と答えました。

 すると老人は、

「おやっ、どう見てもワシには、おまえさんの袋に、コインが一枚しかはいっていないように思えてしかたがないんじゃがなあ」と、笑いながら言いました。

 ハンスはそれで、さっきコインを2枚、勝手に使ってしまったことを思い出しました。

「実はワシの娘が病気で死にかけているのじゃが、町で薬を買ってのませないかぎり、今夜死んでしまうんじゃよ、だからそのコインをワシがいただくわけにはいかんかね?」

 ハンスはいよいよ怪しいと思ったので、思いきって聞きました。

「あなたは実は、森に住む魔法使いなんじゃありませんか? それで、ボクを騙して、コインを狙っているのでしょう。ボクはお父さんからそれを聞いて、すっかりそのことを知っているのですよ」

 老人は平気な顔をして答えました。

「そうじゃよ、ワシは魔法使いじゃよ。おまえさんのコインを狙っているのも本当さ、じゃが、おまえさんを騙すつもりなんかぜんぜんないよ、もちろん、ワシの娘が病気で死にかけているのも本当のことじゃよ」

 ハンスはなんだか、正直なこの魔法使いが、悪い者には見えませんでした。それで、

「わかりました。それならコインをあげるかわりに、娘さんのために、ボクが町で薬を買ってきてあげますよ、帰りにもう一度ここを通りますから、その時にまた声をかけてください」

 老人はたいへん喜びましたが、日が暮れるまでには必ず帰ってきて欲しいと念をおしました。そうでないと、死神が娘を迎えに来てしまうからです。

 さてハンスは町に着きました。そして、父親から聞いた店で頼まれた買物をしようと思いましたが、お金が足りないので、お店の人はハンスに商品を売ってくれません。
 足りないぶんはあとで必ず持ってくるからと頼んでも、まるで話をきいてもらえませんでした。
 あげくの果てにハンスはえり首をつままれて、表の道にポンっと放り出されてしまいました。

 ショボショボと下を向いて歩いていると、弱りめにたたりめ、何かにおでこをゴツンとしこたまぶつけて転んでしまいました。

「あれっ、だいじょうぶ?」と言って声をかけて抱き起こしてくれたのは、薬屋さんのおばさんでした。

「ちゃんと前を向いて歩かないと危ないじゃないの」といいながら薬屋のおばさんは、売り物の軟膏を、ちょいと薬指ですくってハンスのおでこの傷につけてくれました。 

「あっ!」と、ハンスは薬のことを思い出しました。

 そして、持っていた最後の一枚のコインで、あの老人にたのまれた薬を買い、帰り道につきました。

 森のそばには、ちゃんと老人がハンスの帰りを待っていました。ハンスをみると満面の笑みでかけより、紙袋の中の薬をたしかめて、何度もお礼を言いました。

 手ぶらで家に帰ったハンスを見て、父親はたいそうがっかりしました。兄達は大声で笑い飛ばしました。父親は二人の兄を呼び、こういいました。 

「おまえたち2人には、ワシの財産と商売をひきついでもらおう」

 そしてハンスには、

「ハンス……おまえは私が頼んだ買物もろくにできないくらいの愚か者だから、商売人などには絶対になれない」

 ハンスはたずねました。 

「父さん、それなら、ボクはいったい何になればいいのでしょう?」

 父親は、

「音楽家にでもなるしかないだろう」と言うなり、谷底よりも深いため息をつきました。

 さて、父親は決して本気で言ったわけではありませんが、ハンスにはそんなことはわかりません。
 ですから、町へ行って音楽家になる方法を探そうと考えました。そもそも楽器などは何も持っていないので、思いついたメロディを、片っ端から口笛で演奏しながら、町に向かって歩いていきました。

 森の近くにさしかかると、またあの老人に出会いました。

「どうしておまえさんは、口笛をふいているのかね?」

「ボクは音楽家になろうと思っているのですが、楽器がないから、しかたなく口笛をふいているのですよ」 

 老人は以前ハンスに助けてもらったことのお礼に、一本の笛をくれました。

「その笛を大切に扱うのじゃぞ、必ずそれを狙う者が現れるので、眠る時も肌身離さず、決してなくしたり盗まれたりせぬようにな」 

 ハンスがその笛を手にとると、笛はスッとその指に馴染みました。ハンスが笛に唇を近づけると、笛はスッとその唇に吸い付きました。  
 そして、そっと息を吹きこむと……なんと優しく清らかな音色でしょうか……その音色を聴き、どこからともなくたくさんの小鳥がハンスのまわりにやってきました。

 嬉しくなったハンスは、心の底から老人にお礼を言ったあと、町へ向かい、再び歩き始めました。

 途中、困っている羊飼いの親子に出会いました。羊飼いは、

「今日にかぎって、なぜか羊が散らばったまま返ってこないのです。このままでは主人からひどい目にあわされるにちがいありません」と嘆きました。

 そこでハンスが笛をふくと、あら不思議、何十頭もの羊が、楽しそうにダンスをしながらハンスの元に集まってきました。

 羊飼いは大喜びでハンスにお礼をいいました。

 もう少し行くと、こんどは牧場主が、頭をかかえていました。牧場主は、

「今日にかぎって、なぜか牛が、いくらひっぱっても動こうとしないのですよ」と嘆きました。

 そこでまたハンスが笛をふくと、あら不思議、牛は急に立ち上がり、スキップをしながら自分で小屋にはいっていきました。

 牧場主は大喜びで、ハンスにお礼をいい、コインが入った袋と牛乳をくれました。

 ハンスは、父のアドバイスどおりに音楽家になれたので、町に行くのをやめて、家に帰ってそのことを父親に報告しました。そして、もらったコインの袋と牛乳を渡し、ありのままを話しましたが、父親は最初疑って信じようとしませんでした。
 けれども実際にハンスが笛をふくと、二人の兄も父親自身も、今ハンスが話した羊や牛のように勝手に身体が動いて踊りだしたので、みんな大いに驚いて感心しました。

 こうなると、二人の兄はハンスの笛が羨ましくてしかたがありませんでした。
 ですからその夜、ハンスが寝込んだのを確認してから、そっと枕元の笛を盗み、夜がまだ明けないうちに外に飛び出しました。

 長男が言いました。

「まずは牛小屋に行こう、そこでこの笛で牛を連れ出し、家に持ってかえろうじゃないか、そうすれば、毎日嫌と言うほど、ステーキが食べれるぞ」

 2人は牛小屋の近くに着くと、まずは長男が笛を力いっぱいふきました。すると牛小屋が揺れて、大きな牛が暴れだしました。それは一頭だけでなく、近くにいた牛もみんな同じように暴れだし、なんとそのうちの一頭が長男めがけて突進してきたからたまりません。

 2人は命からがらその場を逃げ出しました。そして次男が言いました。

「兄さん、もうステーキはあきらめましょう。もっと小さな生き物だったら安全でしょう。ちょうど今さっき雄鶏が鳴いたので、ぼくはニワトリにしますよ。笛でおどらせて、たんまり家に連れてかえりましょうよ」

 次男は長男の失敗を見ていたので、ものすごく慎重に笛をふきました。

 吐く息が少なすぎたのか、笛は"スーッ"という、もれたような音しか鳴りません。

 するとニワトリたちは、せっかく起きて鶏冠を振りはじめていたのに、そのままみんなぐっすりと、また眠りこんでしまいました。

「これはきっと、ふき方が間違っているからにちがいない」と考えましたが、笛を盗み出した二人が、いまさら家に帰ってハンスにいちから吹き方を教えてもらうのは、どうしても兄としてのプライドが許しませんでした。

 それより何より、せっかく早起きして出かけたにもかかわらず、つまらない思いしかしなかったことが一番、2人が気に入らないことでした。
 
 ですから次男は、こともあろうに、家に帰る途中の谷川に、ハンスの笛をポンと投げ捨てました。

 笛は深い川底にゆっくりと時間をかけて落ちていきました。長男もそれを止めもせず、次男がすることを、ただニタニタと笑って見ていました。

 ハンスが目覚めると、枕元においてあったはずの笛がありません。ハンスは"寝る時も肌身離さず"と言った老人のことばを思いだしました。枕元でなく、毛布の中で抱いて眠ろうと思っていたのですが、自分の家だからすっかり安心しきっていたのでした。

 せっかくもらったものを……しかもちゃんと注意をされたにもかかわらず、そのとおりになくしてしまったので、とにかく一刻も早くあの老人に謝りにいこうとハンスは玄関を飛び出しました。

 老人は駆けてきたハンスをひとめ見るなりすべてを理解して、

「だいじょうぶじゃよ、笛は、ふくべき者のもとに必ずかえるのじゃ」

 そう言うと、ハンスの肩をたたき、

「あの笛は、おまえさんの悪い兄たちが谷川に捨てたのじゃよ、ワシは今から弟子に命じて、谷底を探させ、見つかればあとでおまえさんの家にとどけさせるようにするから、おまえさんは安心して家にお戻り」

 ハンスが家に帰ってからしばらくすると、窓をコンコンと鳴らす音がしました。
 見ると、あの笛が窓を叩いているではありませんか。ハンスが窓をあけて部屋にとりこむと、その笛に一匹のヘビが巻き付いていました。

「ああ、びっくりした」とハンスが言うとヘビが、

「驚かせてすいません。決してわたしは怪しい者ではありません。あなたを噛んだりしませんから安心して下さい」と言いました。 

 ハンスは、このヘビが魔法使いの弟子だということを知っていたので、

「川の中で笛を探すのは、さぞかし疲れたでしょう、何か食べ物か飲み物でも、欲しいものがありませんか」と、たずねました。するとヘビは、

「やさしいことばをありがとうございます。けれどもわたしたちは、大昔に神様の怒りを買って、誰からも毛嫌いされる醜い姿にされたのです。ですから、この家に長居をするわけにはいきません。もしもあなたの家族が帰って来て私を見ると、すぐに石で私を撃ち殺そうとするでしょうから」

 ハンスはヘビをかわいそうに思いましたが、その時まさに、バタバタと足音がして、誰かが部屋に入ってくる気配がしました。
 ハンスは急いでヘビをそばにあった壷の中に隠しました。

 部屋に入ってきたのは2人の兄でした。兄たちは、ハンスが自分たちが捨てたはずの笛を持っているのを見て驚きましたが、利口な2人はとっさに、何もなかったような顔をしました。
 
 そして長男が言いました。

「ハンス、少しばかりボクたちにその笛のふき方を教えてくれよ」

 ハンスは困ってしまい、

「ボクは……そんな……兄さんたちに教えるほどうまくないよ、ただ自分がふきたいようにふいているだけだから……」

 兄達は"そんなのあたりまえだ"と思いましたが、とにかくハンスがふいているのを見て、それをそのまま真似をしようと考えました。

 そして次男が言いました。

「ハンス、俺たちは兄弟じゃないか、教えることが無理なら、俺たちにおまえの腕前を、ちょっと今ここで見せてくれよ」

 ハンスはそれなら出来ると思って、笛をくわえてゆっくりとふき始めました。

 するとあちらこちらから小鳥が集まり、屋根の上でクチバシを揃えて歌を歌いはじめました。

 兄たちは"早く自分にもふかせろ"と、ハンスに迫りましたが、不思議なことに笛はハンスの口からどうしても離れません。
 そして兄たちは、とうとうハンスの身体を羽交い締めにして、無理矢理奪おうとしました。
 けれどもやっぱり笛はハンスの口から離れず、おまけにハンスがいくらふくのをやめようと思っても、勝手に息を吹き込んでしまうのです。

 兄たちは、力づくでは奪えないとあきらめて、今度はハンスのからだをこそばすことにしました。
 ハンスは必死でこらえます。
「やめてくれ」と叫ぼうとしても、口が笛からはなれないので、言葉がしゃべれません。
 兄たちが二人掛かりで、力一杯ハンスの脇腹や足の裏をこそばしたので、あまりの苦しさのために、ハンスの息が笑って乱れました。
 すると笛の音も、ピーヒャララ〜と、奇妙な音で笑いだしました。

 その時でした。

 壷の中に隠れていたヘビが、思わず躍り出て、思わず二人の兄にかみついてしまったのです。

 ヘビの毒はあっというまに二人の命を奪ってしまいました。

 どんなに意地悪な兄でも、ハンスにとっては大事な兄弟だったので、ハンスはたいそう悲しみました。
 
 ヘビは、思わず噛んでしまった自分の罪を、ハンスに何度も何度も謝りました。

 ハンスは済んだことは仕方がないと言ってあきらめて、ヘビを許しましたが、ヘビはどうしても、それだけでは自分の気がすみませんでした。

 それからずっと、壷にはいったヘビは、ピーヒャララ〜という奇妙な笛の音が鳴ると、人に噛みつく事を忘れて、みんなに踊りを披露するようになったそうです。  おしまい。
 

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