見出し画像

大人の寺子屋 左卜全

 情けない、しょぼくれた年寄りや、貧しい農民を演じさせれば、この人に勝る者はいない。

 そんな、唯一無二の名優といえば、
左ト全 (ひだり ぼくぜん)であろう。

 残念ながら、若い人はまったく知らないだろうが……。

 日本映画を代表するともいわれる大作、『七人の侍』で、世界の黒澤が、左ト全 に演技の指示をした。

 自分の村が野武士達に襲われ、火を付けられて炎があがるのを、火の見やぐらから見おろして、そこで、号泣するように……と。

 フイルムが回りだすと、左ト全は、なんと、泣かずに、ヘラヘラと笑いだした。

「カット!」

 左卜全よりも年下の黒澤監督が飛んできて、再確認。

「爺さん、このシーンは、泣くんだよ、泣くの」

 そしてもう一度カメラが回る。

 しかし、またまた、左ト全は、ヘラヘラと笑うのである。

 数回同じことを繰り返し、完璧主義の黒澤監督は激怒してあきらめた。

 とにかく、芸能界でも映画会でも、普段の素行や言動、すべてにおいて、左ト全ほどの変人奇人は、いなかったそうである。

 後年、この時のことを左ト全は、
 当時新人で、撮影所にはいったばかりの、植木等に、ポロリとこぼした。

「人間は、悲しさの限度を越せば、笑うんだよ。それが、アイツにはわからなかったんだ」と。

 さらに、植木等にアドバイス。

「おめえは新人だから、特別に教えておいてやるけどな、いいか、監督の言うことは聞くんじゃないぞ」

 繰り返しになるが、「アイツ」と呼んだ「監督」は、まさに世界の巨匠、黒澤明である。

 晩年には、「老人と子供のポルカ」が、万人の予想に反して、大ヒット。

 左ト全はその時76歳。
 これは当時としての日本音楽史上最高齢の歌手デビューだった。

 しかし、この翌年の1971年5月26日、惜しくも77歳の生涯を終えてしまう。

 私が大好きな役者のひとり、左ト全。

 私は、ずっとこの人が、名前からして、在日の人だと思いこんでいたが、じっさいは違うようである。

 そのことに気づいて知ったのが、たまたま昨日だった。

 そうなのだ。そんなことは、どうでもよかったのである。

 自分の感性に正直に向き合い、好き嫌いを見極めれば、国籍がどうであれ、出自がどうであれ、まったく意味をなさない。

 文化……芸術やスポーツ……そういう類のものを世界中の人が本気で好きになれば、人種や民族間の恨みや紛争などは、どんどんなくなるに違いないのだ。

 という私は、おそらく、平和ボケの一員に分類されるのだろうが……

「そんなもん、知ったことか!」 了

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?