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まごころカフェ

 特別支援学校の子らが「まごころカフェ」と銘打ったイベントで頑張って接客している姿を見て、かなりマジメに考えてしまいました。

 この子らが卒業しても今みたいに働けるカフェを、学校の中やなく街中(まちなか)にオープンできたら、まずはめっちゃ自分(私)が幸せになれるんとちゅうやろか? っと。

 皿やカップなんかはぜんぶ支援学校でつくったやきもの。
 メニューや伝票類もオリジナル、飾る絵もオブジェも。
 手作りの小物やグッズも販売し、何より流れるBGM や、時々行う気軽で小規模店内ライブも自家製。

 そやけど……出す珈琲は本格的。
 本場イタリアの名器、チンバリーのエスプレッソマシンを導入。
 訓練しだいでハートが浮き上がるカプチーノも可能です。

 本気でさがせば閑散たる商店街やロードサイドに、喫茶店の居抜き物件なんか案外ころがってるような気がします。

 卒業生やせんせやPTAらもよろこんで集えるようないい空間。

 私自身、過去にカフェやレストランの経営をしたのは一軒や二軒ではありません。
 ええ目にも痛い目にもあってきました。

 カフェのオープン準備や運営には、失敗パターンも含めそれなりのノウハウを持ってるつもりです。

 私が考えたのは"お情けちょうだい"スタイルではありません。その真逆です。

 世間のほとんどの人は、お金を稼ぐために働いています。
 ファミレスの店員も、牛丼屋の店員も……今ではかなりの数の政治家もそうでしょうね。

 お金を稼ぐために働くということは恥じることでは決してなく、人として崇高な行為だと思います。
 自分や家族が生きていくために、幸せになるためにはお金が必要で、それを犯罪ではなく労働における正当な対価として得る。

 それが普通なのです。
 そう、普通、普通……。

 けれども支援学校の子らは"特別"が頭につきます。
 その特別はマイナスを暗示する面もたしかにあるかもしれませんが、ものごとには必ず裏表が存在します。
 マイナスは視点を変えればプラスになるものなのです。
 私なんか、幼い頃から変人(変態ではない)であるおかげで、現在の自分があるようなものなのですから。

 お金を稼ぐことよりももっと上位にある大切な価値観が、彼らにはあるように思えてしかたがありません。少なくとも私の目には……。

 それは「働くこと」そのものに対する価値観です。
 その純粋さから「まごころカフェ」の「まごころ」が具現化されます。

 不器用かもしれませんが、一生懸命な接客。
立ち振る舞い。

 彼らが働く姿から刺激を受け、見くだすのではなく"いったい何か原点なのか"に気づいて感動し、新たな学びの機会を得る人はたくさん居ると思うのです。

 それよりも何よりも、一生懸命な姿を見ると幸せになるのが、人間という生き物の特徴のひとつです。

 珈琲を飲んで、休んでくつろいだ人が、
「よし、自分も、この子らのように、もっとまごころをこめて仕事をするぞ!」と、しぜんと元気がでる。

 そんなふうな夢みたいなカフェが、もしかしたつくれるんとちゃうやろか?

 私はずっとそんな妄想をしておりました。

 誰か本気で考えませんか?
 儲けることを考えたらあきませんよ。

 とりあえず初期投資は2千万。

この程度の予算……やるきになれば、今まで何度もチャンスはあっだのですが……残念。

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