一般教養のはなし
とある、私よりもずっと若い大卒女性にたずねました。
「ちょいときょうびの大卒者の一般教養についてたずねたいのだが、チミ(君)……
『善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや』ということばを聞いたことはあるかね?」
「そんなことば、聞いたことも食べたこともありません。いったいそれはどういう意味で御座いましょう?」
「いや、知らんかったらそれでええわ。ワシは中学の時に学校で習ぅたんやけどな……きょうびの学校では教えんのやろかな?」
「いえいえ、私が特にアホなだけだと思いますよ」
「そんなことは、わかっとる」
「アラそうですか」
「ワシなあ……最近になってようやくこのことばの意味がわかってきたんや」
「一から十までなんのことだか、こちらとしてはサッパリわからないのでありますが……」
「これはやな、この、『善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや』というのはな、
善人でさえ極楽に行けるわけやから、悪人が極楽に行くのは当然や、という意味や」
「それって、ふつう、逆でしょ?」
「そんなことあるかい! これを今の世の中に置きかえてみい。 ええかよう聞けよ……普通の人でさえ天国にいけるんやから、クボケンジ が天国にいかれへんわけがなかろうもん、と、こういう意味やがな」
「なんかそれ変ですね。自分の悪さを逆手にとって、なおかつ強引に開きなおって利用しているような……」
「アホちん! ちん‼︎」
「1回でじゅうぶんです。2回続けて言わないでください」
「はいはい」
「はい、も、1回」
「やかましいな……話の腰を折るな……とにかくや、人間はそもそも誰かて業(ごう)が深いからな、要はみんな悪人なんや。
その悪人の中でいうところの善人というのは、ホンマの善人やなくて、善人ヅラをしとる奴、偽善者やという意味や。
それに比べてワシみたいに、なんとなく怪しくて悪い奴を、一般概論として、ひとことで悪人と呼ぶんや。
ホンマに人を騙したり殺したりするリアルな悪党は、極悪人とか、犯罪者とか、政治家とか、DQN とか呼ぶのが今の仏法のしきたりや」
「ホントですか?」
「口からでまかせや」
「やっぱり……真性の悪人ですね」
「もっぺん言うで、日本人ならこれくらいは覚えとけよ。一般教養どころか一般常識やぞ、
『善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや』
……ほんまにエエことばやなあ……なんでこれが若いうちは理解できんかったんやろなぁ?」
「幸せですね?」
「まあな……」
「きっと極楽往生できますね」
「当然や、ワシが逝く時は絶対にグリーン車に決まっとる」
「ハイハイ」
「ハイは、1回じゃ!」
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