エッセイ 辞世 関西弁
「須弥南畔、誰が我の禅を会(解)せんや、虚堂来るも、半銭に直(値)せず」と読みます。
アニメでも有名な、とんち坊主の一休さんこと、一休宗純の遺偈、すなわち、亡くなる寸前の、辞世の言葉だとも、絶筆だとも言われています。
なんのことかと申しますと、久保研二 流の意訳ですが……。
「どこをどう探しまくっても、ワシの『禅』を理解する者なんぞ他におるわけないやろ!
一休の禅は、本人である、このワシだけのもんじゃい!
仮にやで、もうとおに死んだけど、ワシの師匠やった『虚堂せんせ』が、枕もとに突然見舞いにきたとしてもやで、そんなもん50円の価値もないわい。
そんなもんで、きょうびチーズバーガーも買えへんっちゅうねん!」
死ぬ間際やというのに、こないな憎まれ口です。
だいたいが、この男、昔から口が悪いので有名です。
若くて元気な頃は、こんなこともゆうてます。
「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
→ みんながせっかくめでたがってるのにねえ。
「親死に 子死に 孫死に」
→ そらわかってまんがな、あえて言わんでも。
「世の中は 起きて稼いで寝て食って 後は死ぬを 待つばかりなり」
→ みもふたもありまへんがな。もっとほかにもやることありまっせ。
「釈迦といふ いたづらものが 世にいでて おほくの人を まよはすかな」
→ そんなんゆうたら、もっと悪いやつ、ぎょうさんおりまっせ、外国には。
そやけど、これは言えてますな。
「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」
実は、こんな不良老人になるのが、私の夢でございます。
夢に向かって、ひたすら疾走しております。
なんとか不良中年には成れたような気がします。
これからますます、目標に向かって精進致します。
そうです激しく天空に舞う、その日まで。
そうと決まれば、ワシも早めに辞世考えとこっと。
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